ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

なってしまう話

「先生は外科になるんですか?」飲み会の翌朝、無心で処置のための回診車をきいこきいこ引っ張りながら病棟を歩いているとそう訊かれた。「いや、何だか総合診療医になるみたいですよ、わたし」「へえ」

最近受ける質問のほとんどは、「街コンってどうなんですか」か「外科志望なんですか」のいずれかである。みんな限定された興味の中を生きているのか、特に仲良くないアラサーの職場のオッサンに掛ける声と言えば現実的そのくらいしかないということなのか、僕にはどっちなのかよくわからない。ちなみに外科ローテ中のため、外科志望な訊かれるのであって、循環器内科を回っているときには、循環器内科志望なのかと訊かれた。

なってしまいました、の言い回しを多用しており、含みがあると受け取られることが多い。整形外科入局するする詐欺事件の影響も否定できないが、整形外科入局コースを選んだとしても、なってしまいました、と僕は話すに違いない。

ところで昨晩は飲み会(丸の内OLの”丸の内性”はOLの中に存するのか、土地に存するのかという話、つまり僕が丸の内OLと結婚して、その女性がコンニャクイモ農家でアルバイトを始めたら、それは丸の内OL性を喪失したことになるのか、それとも会話の端々ににじみ出ていればそれはそれでありなのか、あるいは仕事を遠隔で行ってOLであり続けるのだとしたら……といった話をしていたら終わっていた、非生産的でない話すぎて、あやうく脱糞してしまいそうになるけれど、生産性のない寄り道の中にこそ価値を求めていきたい)だった、ちなみに今日も飲み会(先日の街コン地獄篇の後日談―どうやら僕の友人は例の女性とデートしたらしい―について聞く会)である。最近も週に2日の休肝日は当直のおかげで何とかもうけることに成功しているが、基本的にそのほかは連日飲酒している。忘年会シーズンであることはあまり関係ない。飲み会がなくても、セブンイレブン鯖缶とワンカップの菊正宗樽酒本醸造、菊水ふなぐち生原酒、キリン一番搾りのいずれかを購入して飲んでいる。学生の頃から晩酌の習慣がある。理由はよくわからない。何かをするには根拠がなくてはいけないから、それっぽい理由をこじつけて色々考えてみるのだが、結局のところよくわからない、というのが本当のところである。

自分の行為に関しては説明可能性を信じているので、何かを意識的にするためにはそれが最善手であることを証明する必要がある。(酒については仕方ない。uncontrolableな飲酒欲求は病的なので僕の意識を離れているから、そこに最善手もクソもない。病気は病気だ。)

後期研修どうするの?

という問いに関しても同様で、これに対して解答を出すためには、僕はすべての可能性を列挙して、収入・QOL・人間関係・学問的興味・将来性等、それぞれを点数化して、何を重視したいのかで傾斜配点をつけて点数の最大化を目指さなくてはならない。

けれども結局そんなことは不可能で、特に将来どうなるのみたいな話については、95%信頼区間をおくと、たぶん幅が広すぎて、有意差が付かない。症例数が少ないと信頼区間の幅が広がってしまうのだから、まだ誰も僕の未来の人生を生きていない、n=0の臨床研究ともなれば当たり前である。

最善手を選べない時はサイコロを振るほかない。本物のサイコロで決めようかなとも思ったが、さすがに人生をなめすぎているので、押しの強かったところに流れるという、象徴的サイコロ振りで将来を決めることにした。

予測できないものについて、自分の判断ができないことから、自分の判断ではないニュアンスを出すために「なってしまいました」のフレーズを頻用している。そんなニュアンスを出そうが出すまいが、サイコロを振る決定をした時点でその結果の責任を僕自身が負うほかないのだから、これは大層イケてない。

よくわからないことに関しての付き合い方が苦手です。そのくせ患者家族への病状説明においては病状や検査の不確実性について理解を得られないと、あんまりいい気分がしない。ヒトサマのことだから、いいように言えるんだよなとも思う。

最善手はわからないけれども、不確実性を受け入れることについては、自分の判断です、と言える方が人生楽しそう。自分の人生にもう少し責任感を持って日々を生きたい。投げやりで斜に構えていて許されるのは高校生くらいまでですよね。ということで、明日はもう少し元気に回診車を引っ張ろうね、ぼく。