ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

りっぱにりっぱに

  エアコンの配管からの音の波長が絶妙なので、夜当直室で寝ていると遠くで鳴っている救急車のサイレンの音のように感じられることが多々ある。救急車をタクシーがわりに使う人が問題って話は度々耳にするけれど、地域柄もあるのだろうが救急車に乗ってくる人にはそれなりの理由がある人が多い。勿論中にはどうしてこんな症状で救急車呼んだんだろうと思う人もいるけれど、カルテを見て救急外来ばかりを受診して昼間の外来に来られない人には背景に現在の症状と直接関係ない問題があることも多い。認知症で一人暮らしまたは老老介護、境界くらいの精神発達遅滞ばかりの家族、統合失調症の人、などなど。救急車を利用しなくても、夜にばかり来る患者というのもいて、昼間の外来で慢性期のコントロールをきちんとされないから喘息発作になったり、緊急性がないからと対症療法のみで帰宅にされ確かにその時々の救急外来の対応としては間違えていないんだけれど、何の解決にもなっていない人、など。

 以前より、救急外来は敗者復活戦だと思っている。CPAの搬送などその最たるものだろう。心臓もとまって呼吸もしてない人間が、どうして普通に生き返ることがあろうか(目撃者あり、バイスタンダーCPRがあり、かつ解除可能なAMIや電解質異常や窒息低酸素などがあればまだしも……)。

 6/3に抄読会がある。田舎にいるとアカデミックなものに触れない、ベストな臨床のためには正しく臨床研究の結果を解釈できる必要がある。ゾフルーザは使うべきなのか、高齢者の誤嚥性肺炎には院内肺炎だからという理由で広域抗菌薬を使うことは適切だろうか、せん妄に対してラメルテオン(ロゼレム)を使うことがたまにあってこれ(https://jamanetwork.com/journals/jamapsychiatry/fullarticle/1831407)を根拠にしているんだと思うんだけど実際どうなんだろう。CPAで除細動の適応がない時にとりあえずアドレナリン打ってROSCさせるけれど、ほとんどの場合、解除可能な原因はなくて、いつからCPAなのかも分からず、とりあえず心臓が動き始めたら重症者用病棟に担ぎ込むけど、数時間でお看取りをするのは本当に意味のあることなのか、そもそも蘇生行為の中止をするときに家族にもう無理なので中止しても良いですかと訊くのにどんな意味があるのか、嫌だといったら死後硬直が出るまで永遠に続けるのか、めまいに対してのHINTSは不慣れな人がやっても本当にMRIよりも感度や特異度が高いのか、ゲロまみれの患者さんの頭をブンブン振ることがどれだけ現実的に可能なのか。ドパミンとノルアドでどっちが昇圧は良いのかって話はしばらく前にノルアドが良いと決着がついていて(https://www.nejm.jp/abstract/vol362.p779)心原性ショックにおいてはよりノルアドの推奨度が高いとされているけれども、たとえばLOSで重度の弁膜症がある時にも本当に後負荷をあげることが予後改善につながるのか、病態を改善するのはβ刺激で心拍出量を増やすことだと思うけどなあ、などなど、日常臨床をしていると疑問が尽きない。かといって、pubmedなどを調べてみたところで、論文を批判的に読めるかと言われるとどうもそれも無理なような気がする。ガイドラインなどを読んでみるがガイドラインガイドラインでCOIの関係から盲信もしにくいという話(https://ebm.bmj.com/content/23/1/33)もあったりする。

 そんなわけで、自分で何が正しいのかを判断する力が欲しいよなと最近思う。何を信じたらいいのかよく分からない。最低限のまずいことはしないようにしているけれど、せっかくならばベストな選択肢をとれるようになりたい。自己肯定感向上のための広義のオナニーの一環である。

 先日病院主催の勉強会で、立派な集中治療医の先生と話していた時、数の大きなRCTなんて患者ごとの個別の病態についてはあまり考えられてないから大規模RCTの結果だとわずかにこっちの方が予後が良いらしいけれど、でもこの人の病態的にはこっちじゃない? みたいな話はあって良いのよと言われた。たしかに本来的なEBMはそういうものだし、そうでないならガイドライン人形になってしまう。ところで、その先生が敗血症性ショックに対してノルアドの容量が0.1γをすこし超えたくらからSIMD否定できればバソプレシン使ってると思うけど、では逆に切るときはどう切ってるかね、と訊かれて、追加したのがバソプレシンなので切るのもバソプレシンを先にしてますといったら先にノルアド下げた方が良いとぼかあ思うけどなあ、と言われた。理由を聞きそびれてしまったので知っている人がいたら教えて欲しい。

 ちなみに抄読会の論文は院外心停止に対して早く救急隊がアドレナリン1mgを投与すると予後は改善するかという話(https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1806842)を選びました。蘇生行為を行うたびに虚しい気持ちになるからだ。結局、アドレナリン投与群で生存予後は良いけれど、生き残った人同士を比べると神経学的予後の悪い人の割合はアドレナリン投与群で多いと。まあそりゃそうでしょうね、生き残った数が違うんだから。そもそも神経学的予後を改善するかどうか自体も微妙とのことだけど、3ヶ月後の神経学的予後の調整オッズ比は0.97-2.01で有意差なしになってるけれど、limitationに当初予定していたよりも生存者が少なかったと書かれておりもう少し参加者が多かったら有意差がつきそうな感じがする。僕はむしろこの論文の著者の、アドレナリンなんて打ったって無駄よどうせほとんど死ぬもんね、という僕と同じような悲哀のメッセージを感じとったよ。だから、生き残った人同士を比べたら神経学的予後は悪いしね、なんて当たり前のことを言いはじめるんじゃないかな。ちなみに、救急車の病院への到着時間が結構早くて、これは僕の勤める田舎病院にそのまま適応しにくいのかなと思った。遠くの温泉街のCPAで40分かけて搬送された人の蘇生行為にそもそもどこまで意味があるんだという話もあるし、そういう人に対してなら早めにアドレナリンうってあげた方が良さそうだけど。

 いずれにせよ、救急外来は敗者復活戦だから、そこから普通のリーグ戦に戻せるようにしたいし、普通のリーグ戦で負けないように考えないといけない。誰にも評価されないような、どの時間帯のお薬が余っていて飲み忘れが多いのかを把握して昼に飲み忘れが多ければなるべく1日朝に一回の薬にして一包化するとか、定期外来になかなかこれない人に通院支援のバスの利用方法を教えるとか、血圧手帳を渡して病識をもってもらうとか、検診を受けるように強くすすめるとか、肺炎球菌ワクチンをすすめるとか、フロセミドだけでコントロールされている心不全の人の薬を調整してかかりつけ医に返すときに何故この薬に調整したのかをきちんと理由を添えた診療情報提供書をつくり急性増悪時にはいつでも送っておくれと書いておくとか。そういう勝つための戦いもしたいけれど、そういうのって地味だから、誰に評価されるわけでもなくて、寂しいからこういうところでブツブツ言ってるんだ。

 せんせのブログ読みましたよ、と黒髪の乙女が言っていた。それからまた書き始めていることを考えるとやはり、僕はオナニーは苦手で、他者からの目線がモチベーションに繋がるタイプの人間なんだなと実感した。

 ちなみに救急外来の待合室に救急車の不適切利用はよくない! と書かれたポスターが貼られている。待合室に待つ多くの人は不適切利用をしていない人なのだから、ここにこのポスターを貼ることで一体誰が得をするんだろう。なにかを主張するときは誰に伝えたくて、何処に向かって叫ぶべきかを考えないといけない。僕は何のためにブログを書いているんだ。オナニーよりも視姦プレイを楽しむという方が近いのかもしれない。