ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

おねしょの神様

 夜も更けた田舎の飲屋街、小汚いスナックの店々からくぐもって響く泥酔したおっさんの調子っぱずれの懐メロにどことなく寂しい気持ちにさせられる。月明かりに照らされた鄙びた街路をテクテクと歩くのは私、と、その遥か先に人語を解さぬビーストが奇声をあげて周囲を威嚇しているが周りには誰もいない。神よ、と天を仰いで見たけれど、無神教徒の僕を都合よく助けてくれる神様はいない。

 その30分前、病棟の飲み会は一本締めなどをして終わった。デブなので僕は話も聞かずに唐揚げを食べていた。きっといい話なんだろうが唐揚げより大切なことが人生に多くあるとはちょっと考えにくい。僕と同じチームについてる研修医氏は出来上がっており筋トレなどを始めていた。そのままの勢いで階段につながる二階部分の壁につかまって懸垂などをしているのを見ていたら突然姿を消した。それとほとんど同時に鈍い音が響き、おそるおそる階段に向かうと手足が妙な方向に曲がったグロテスクな泥酔者の姿を階下の床に発見した。中島らもは確か泥酔して階段から落ちて死んだ(https://www.google.co.jp/amp/s/www.nikkansports.com/m/entertainment/news/amp/1682081.html)。が、研修医氏は落ちた次の瞬間にはうつ伏せになり気がついたら腕立て伏せを無限にしていたからどうやら死んでいないらしかった。

 そのさらに前々日の夕方、出張という名の飲み会で富山に行く気マンマンだった僕はその日になって初めて行先が福井であったことを知る。福井県は恐竜と羽二重餅が有名らしいが、僕は恐竜というといわき市のイメージだった。いわき市はフタバザウルススズーキーと炭鉱とハワイアンズの街である。ドラえもんが好きだった僕にとって憧れの恐竜はティラノサウルスでもトリケラトプスでも、モササウルスでもアーケロンでも、ランフォリンクスでもケツァルコアトルスでもなく、フタバススキリュウだった。(『ドラえもん のび太と恐竜』を参照されたい。)フタバスズキリュウが固有の種であることが判明したのは確か結構最近の話で、ニュース(https://academist-cf.com/journal/?p=3434)で観た記憶があるなと思って調べてみたら、2006年のことだった。時間が経つのが早い。福島県いわき市も化石で有名でアンモナイトの博物館だったはずだが、どうやら福井には世界三大恐竜博物館があるらしい。なにそれすごい。行ってみたい。化石の博物館といえばシカゴのフィールド博物館に置かれているティラノサウルスの化石標本の顎にトリコモナスの感染の跡があったという話をどこかできいたなと思って調べてみたらこんな記事(https://www.afpbb.com/articles/-/2648322?cx_amp=all&act=all)をみつけた。こんなことをネットサーフィンしているうちに昔古生物学者になりたいとか言っていた時期があったことを思い出した。何かになるというのは何かにならなかった(なれなかった)ことだから、何になったところで他のあらゆる全ての存在になれないということなんだけれど、そういう目で昔何したかったんだっけとか考えると少し切ない気分になる。でも結局個別の要素が強すぎてRCTが組めないようなn=1の問題に対して、予め決まっている最善手があるかのように考えることの方が病気だなという気もする。

 福井駅の前には巨大な恐竜の模型が置いてあって、これがまたリアルで、たまに動いたりするようで、しかも改札の自動化の前に恐竜が動くようになったとかで、福井県民の恐竜への熱い思いなどを感じていた。焼き鳥が有名とのことだったので、ビールと地酒と焼き鳥をつついて、刺身をたらふく食べて寝た。そもそもが学生を勧誘する旅だったのだが、学生さんが握りっ屁をかがせてきたり、突然尻に噛み付いてくる彼女がいて、その彼女の幸せを願って地元には帰らずに遠い地に行くと話していたからハナからダメだった。美味しいごはん食べられたから僕は満足。

 その24時間後、僕は途切れない救急車を受け続けていた。田舎なので断るという選択肢はない。そのうちクソど田舎なのに県内搬入数ランキング4位にまで上昇したことと地域の輪番病院が夜になってから一台も救急車を受け入れていないことを救急統合システムの関係者メニューで発見して救急隊は輪番のシステムを何だと思ってるんだべかとうんこもれそうになった。睡眠時間が足りないと人に優しくできないし、うんこも容易にもらしてしまう。

 長い夜が明けた。隣で一緒に当直した人妻研修医氏が口から魂に似た何かを吐いて死んでいた。午前中で帰って良いことになっていたが病状説明を5件入れていたし、こじれた関係になった患者家族にゴリゴリに当たられたりしていたら昼が過ぎ、夕方になり、カルテを書いていたら夜になり、そうしてまた新しい飲み会がやってきた。

 

 泥酔した研修医氏は死んでいなかったので、朦朧とした意識で電柱と戦わせるように誘導して遊んだりしていたが、拳が限界になったようで、そのうち言葉にならない叫びをあげてさびれた田舎の飲屋街を猛烈なスピードで駆け抜けていった。途中から人語を発することができなくなったので、僕の家に連れて行き、意識も悪かったので、きつけ薬としてウイスキーをコップに注いで一緒に飲んでいたらそのうち倒れてしまった。翌朝ニヤニヤしながらズボン貸してというからどうしたのかと思ったら床がションベンまみれになっていた。おねしょマンは罪の意識と無縁のようだが、私といえばいつも罪の意識にさらされている。睾丸にウエイトトレーニングが必要だ。テストステロンしぐさをしなくては。