ぶたびより

苦しみは罰でも贖罪でもないんですよ

女の子と尾瀬に行った話

 髪のまだ濡れた色白黒髪の乙女を助手席に乗せてインターチェンジを降りた。心配された天気も辛うじて崩れずにいる。国道を車で10分も行くと町が尽きた。片側は河岸段丘の底へ、反対側は緑深い山々が連なる。さらに1時間弱車を走らせる。尾瀬国立公園への入山者の多くは鳩待峠からスタートするのだが鳩待峠はマイカー規制がされており、近くの駐車場に車を置いて乗合バスで登山口を目指す。乙女は多分エルフか何かなので5月に一度来て木道が埋まった雪の上を暫く歩いて(エルフは雪の中でも足が雪にしずみ込まないとロードオブザリングの監督が副音声で話していた)心が折れて帰ったとか話していた。

 鼻の下をだるんだるんに伸ばしながら木道を歩くと上唇に足がひっかかって転びそうになる。ふと、今後の人生で若くて機智に富む年下のエルフのおねえさんとお話することが一体何回あるのだろうかなと考えていたらなんだか切ない気持ちになってきた。そもそもエルフは長命なので少産少死の社会のはずで、年下ってだけでかなり希少価値が高いのだから仕方ない。

 鳩待峠から湿原の入り口の山の鼻へと下る道はよく整備されていて、さすが国立公園だなと思う。たまに登る名もなき低山とは格の違いを感じる。谷を歩くので途中で小さな沢と合流する。「私の好きな地形は川なのですが、おじさんの好きな地形は何ですか?」好きな地形?? カルスト地形とか?? テーブルマウンテンとか?? コミュ力がないので会話がままならない。

3kmほど歩くと山の鼻に着く。山の鼻は複数の山小屋があり、軽食も摂ることができる。ちょっとした町になっていて文化の香りがする。平日であることに加えて、すでに水芭蕉のシーズンは終わって、ニッコウキスゲにも早い日程だったからどこも閑散としていた。

 乙女は夕方から用事があるので道を急がなくてはならない。ビジターセンターの野生動物の剥製や毛皮をつっついたら足早に湿原に向かう。尾瀬は日本でも有数の高層湿原で、標高1300m程度なので7月のこの時期にあってもまだ風が涼しい。湿原の泥炭はこの冷涼な気候によって作られる。夏場に生えた草花は秋冬になると枯れて普通であれば微生物などに分解されて泥となる。ところがどっこい冷涼な気候の地においては有機物の成長するスピードよりも微生物の分解するスピードの方が遅くなる。するとその差分で分解されきらない植物が堆積していくことになり、ちなみにこれが我々の大好きなウイスキーの香りをつけるのに使われるピートになる。別にデート向きの話題でもないので心の底にしまっておく。

 時折、雲の切れ目から日が差して、背後の至仏山のまるっこく優美に青々とした姿と谷筋に残る雪渓を後ろ歩きでみたりしながら歩いていた。「男子校の人って声を掛けただけで好きだと勘違いしたりしますよね」えっえっ??? なんだか突然不穏な話を始め、重めのジャブを放たれた。いいもんべつにこれパパ活だもん。

 飯を摂ろうと山小屋を探したが場所を勘違いしており、結局登山口から8kmほど行った先の下田代十字路で食堂の併設された山小屋を発見した。ここは尾瀬でもっとも人の集まる山小屋密集ゾーンのようだった。中には湿原を見ながらごろ寝できるタイプの椅子が外にある山小屋などもあり泊まりたさがムクムクと立ち上ってくる。焼肉定食を食べた。「そういやビートル乗ってるのいいっすよね、わたしもビートル欲しいんですよ」とカレーをモシャモシャたべながら乙女は話すが、車をあげるのはアラブの石油王のパパ活のレベルになってくるので僕の経済力では少しばかり困難なようだった。ごめんと思って、もうビートルは終売になったことを伝えた。

 なぜ別れ話になったかみたいな元彼の話を永遠に聞いたりしていた、back numberの曲のヘタレた歌詞の果てた童貞感にメンタルのしんどい時に何とも言えない気持ちにさせられるなどしてきたけど、こういう瞬間は人生に本当に存在するのだなとミッキーマウスに突然町で出会ったような気持ちになった。この年齢になると交際が結婚に近づいてくるし、結婚は個人を超えて家族の匂いが出てくる。と、僕も去年の、もう一年以上経ってるんだな、去年の自分のことを思い出したりしてきた。

 そういえば最近結婚式に呼ばれる機会が多くなってきた。いつも泣くのは新婦の父親だ。このあたりについて日本における親族の構造とかをだれか論じていないのかしら。レヴィストロースが家族の誰と誰が親密だと誰と誰が緊張した関係になる、といったような対立の図を何かに書いていた気がする。調べてみたらこんな内田樹先生のブログの記事(http://blog.tatsuru.com/2007/11/07_1253.html)を見つけた。家族論、全然触れたことのない領域だし、結婚式の多いお年頃だからいま勉強すると面白そう。

 話が逸れた。道中、乙女は実はエルフではなく高貴な某楽器も最近練習を始めたこと、秋田の秘湯で混浴露天に入ったこと、マグル生まれのため医学部に来て貴族ライフを送る人々に驚いた話などを教えてくれた。バカは嫌いで鉄門生とかが良いとか話しており強いストレートパンチによりマットに沈んだ。いや、mudやね。ここは湿原だし。そして僕はFラン大学。

 気がつけば予定の時間は遥かにオーバーしていた。数多くのパンチを受けつつも下山して道の駅の温泉に入って国道沿いのトンカツ屋さんでトンカツ定食を食べて帰った。全然夕方に帰ることが出来ず流石に申し訳なかったので帰省するというから駅まで送っていくことにした。「実は年齢2つしか変わらないしこれパパ活ではないです」どうやらパパ活ではないらしい。人間の乙女が言うことはいつだって正しい。パパ活であれば脈なし前提なのでイマ楽しければいいじゃないの心で何も考えずにいることができるのだが、デートの定義に組み込まれてしまうと悶々としてしまう。この日は20km歩いていたようで脚が重だるくて当直明けの飲み会明けで朝四時半に起床だったこともあり体力は限界だった。家に着くともう10時くらいだったので素敵な湿原を思い出しながらピーティーラフロイグ10年をショットで一杯呑んで寝た。