ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

日記

病院横を流れる川のきれいなエメラルドグリーンを眺めながら医局の窓際で日光に当てられながら春を感じていた。職場で新型コロナウイルスの院内感染が発生したために、救急外来も含めて病院機能がほとんど停止している状況になって早一週間になる。もともと私の仕事といえば、初診外来と救急外来と病棟業務がメインであるために、新規入院を停止している今はほとんど仕事がない。管理部のお偉方は県庁や保健所との話し合いであったり、近隣住民による職員に対する無知故のエビデンスに欠ける(といっても新興感染症にそもそも高いエビデンスに裏打ちされた知見などほとんどないのだと思うが)コロナハラスメントへの対応などに追われている。管理部の先生の透析回診を代わりに行ったり、大学医局の方針などから当院への外勤に来れなくなってしまった医師の代診を行う日々が始まった。私は直接今回の騒動とは関係していないが、確定診断例の方と同じ病棟に出入りしていたこともあり行政PCRの対象となってしまった。先日陰性の結果が出て、濃厚接触者には当たらないしかつ無症状で検査前確率がそう高くないところでのPCR陰性が確認されたので未感染で良いとだと思われる。

当初武漢からCOVID-19が発生した時点ではせいぜい致死率3%程度で、しかも無症候感染者がいることを考慮すると実際の致死率はさらに少なく、SARSやMARSに比べたら大したことないだろうし、これらの封じ込めがうまくいったのであるから恐るるに足りずと考えていた。徐々に感染者数が増えていく中でも感染のピークをずらして医療のキャパシティを超えないようにするための作戦はまずまず国内では奏功しているようであった。ところが、今になってみると、街から人が消えて、医療機関でもなかなか個人防護具が入手できずまるで戦時中のような有様になってしまった。

序盤から今に至るまでPCR検査数について特に舌鋒鋭く議論や時に人格批判が繰り広げられ、医療やら経済やらそれぞれ異なるバックグラウンドの共通言語の少ない専門家と自称専門家と恐怖心で飯を食べているマスコミと今回の件とは実質的に無関係な政治的イデオロギーと結びつけて問題を語る人々が思い思いの発言をしている。ただでさえ、学問的背景の異なる人々が高いエビデンスレベルのないことを話し合って一定の結論を出すことが難しいのに余計にややこしくなっているなという印象を受ける。

医学的な観点からは楽天がやろうとしているような検査はほとんど無意味であるというエキスパートコンセンサスが得られているように思う。検査前確率を無視した検査の施行や検体の質やそれが及ぼす行動の変化(検査前確率が高くないことから多く出現する偽陽性による病院受診によるただせさえ限界な医療への負担や偽陰性によって外出してしまう人々の存在)を考慮したら到底よい選択とは言えない。

そもそも私も含めて、不確実性と向き合わなくてはならない医療者というのは安心に対してのコストを嫌っている節がある。私も「〇〇が心配で受診」という軽症者のフレーズを聞いただけで不快になってしまうこともある。もちろん、不快な気持ちになることとそれを表出することとは違う。

PCR検査への閾値をそれなりに高く設定してほしいという医療者は日本における医療への高いaccessibilityが却って院内感染発症のリスクを挙げることを指摘したいのだと思うが、やはり根拠ない安心を求める精神性の腹立たしさから医療者の側の言葉にトゲが出てきてしまっているような気がする。

私自身もコロナ禍の中で初診外来をやっていたけれども、この時期の外来は非常にストレスフルであった。軽症患者であっても上気道症状があれば接触歴がはっきりしなくてもCOVID-19の否定にはならないし、そのたびに医療機関に個人防護具の着脱や他の患者と動線が被らないようにする配慮が必要になり、ハード面でもソフト面でも医療のリソースを無駄に食ってしまう。かと言って明らかに元気な上気道症状のある方でも病院に来てしまったら応召義務が発生するので受診拒否はできない。また、本来なら本人が受診しないような症状であっても勤め先言われてといったような事情での受診が全国的に散見されるようでTwitterなどで発熱外来担当者たちが苦言を呈していた。コロナの陰性証明は現状では不可能だ。発熱のカットオフを37.5度にしているが、これも絶対的な基準ではないように思う。勤務可能かどうかの判断を医療機関に求められても困る。バイタルが安定していればSpO2モニターを渡して90%下回ったら来てね、勤務可能かどうかで言えば少しでも怪しければアウトと言いたいけれど、法的な根拠があるわけではないのでどうしても働きたいならダメだけどお好きにという他ないですよ、と話して門前払いするのが医学的には良い。そもそも風邪は医学で治せないのに病院にくる日本の風習もやめてほしい。何をするにしてもゼロリスクというのは到底不可能で、そこを目指すとコストが飛躍的に上がってしまうし、そもそも不可能だ。光速に近づくロケットみたいな感じ。当院にしてみても、感染管理をきちんと練習した人々が診療に当たっていたわけで、まあ仕方ないことだろうなと。

ただ、今後どこの病院でも院内感染がおこりうるだろうし、そのたびに病院の機能を停止させていたらコロナによる死者数よりも病院受診ができなかったことによるその他の病因による死亡が増えてしまうような気もしている。そのあたりを考えた上でさらに患者数が増加した時にどうするのかってことは公衆衛生関係のえらい人は早く示してくれたらなと思いつつも、たぶん人員も少なくて限界なんでしょうね。過労死しないか心配。

今年は暖冬だったからか四月の終わりにしては川の水量が少なめだ。はやくコロナ禍も流れ去ってくれるとよいですね……。