ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

指導的なことをするのは難しいよねって話

みつけてしまったミス:なぜか好中球↓で緑膿菌感染を考えようの話を不勉強なわたしがどこかで細胞性免疫↓の時にと書いていたのに気がつきました。かなしい。ごめんなさい許して。あらこの記事ではなかったな、どこだったかな。

 

 ビル・キャンベルという偉い人がcoachableな人にしか指導しないという話を見かけた。僕はおそらくその"coachability"の低いタイプの人間なんだと思う。自分がそうだからかもしれないが、だれかに何かを指摘することが非常に億劫だ。単にめんどくさがりなだけなのかもしれない。あるいは、何かしらの不足した点を指摘するのは何が不足しているのかを本人が気にしている時だけであるべきだと考えているからかもしれない。自分に落ち度があまりないと思っている人間に対して、落ち度を指摘するのは彼/彼女の内部の幸せを踏みにじる行為だし、そんな権利は誰にもない。

 カルテを書かない医者は臨床能力が低いと思っている。以前クソみたいな紹介文たたきつけてきた内科医がいたんだけど、まあ普通に誤診で、後で話をきいたら普段から2行しかカルテかかなくてアセスメントは記載してないとのこと、やはりなー。新規に/継続で薬剤を処方する/しない、スクリーニングの検査をする/しない、といったあらゆる判断には根拠が必要で、判断の根拠はどこかに記載しておかなくてはならない。ご高齢の医者の多くは現代の医療にキャッチアップできていないのでそんなことはそもそも期待していない。EBMの考えができる前の人々や電子カルテ導入前の医療経験が長い人々は仕方ないんだろう。タイピングも苦手だろうし。

 

 以下は主にめまいと市中感染症の話

 

 研修医教育に携わるべきなのかどうか悩ましい。特に最近は「肺炎/尿路感染症でSBT/ABPC」という記載をよく見かける。わかっている人が書くなら全然かまわないのだが、高齢者の誤嚥性肺炎も尿路感染症もほとんど除外診断だ。身体所見の欄に胸腹部の所見しかなくてそのようにアセスメントがされていると、下肢の発赤があるとか偽痛風でヒザが腫れているとか、そういう所見が実はあるのでは? と思ってしまう。高齢者は蜂窩織炎でも足が痛いとは言わない。肺炎で入院と言われた人がおむつ交換の際に下肢の腫脹を指摘されるなどはよく見かける光景だ。また、肺炎だからSBT/ABPCやCTRXと書くのもいただけない。これらを処方するということは、緑膿菌や非定型肺炎をカバーしないという決断をしているということを意識してほしい。誤嚥性肺炎をみたら食事形態の調整やリハビリ、基礎疾患への介入ができないか(未治療のパーキンソン病があるかもしれないし、場合によってはレボドパチャレンジも検討されるだろう)、嚥下機能を落とす処方薬の調整もしてほしい。誤嚥性肺炎は純粋な抗菌薬で治る感染症ではない。また、尿路感染症と診断するのであれば、エコーで閉塞の有無はスクリーニングしてもよいのでは、と思う。時間があれば前立腺膿瘍の有無の確認のために直腸診まで行うべきだ。忙しいからやらないというのは僕もハイポ系だから全然良いけれども、知っていてやっていないのとそもそも知らないのとでは違う。初療がうまくいかない時に何をどうして良いのかわからなくなるだろうし。

 また、血液培養でGPCが生えました、と言われたのならば、グラム染色を確認しに行くべきだ。ブドウ球菌様や連鎖球菌様なら、皮膚軟部組織感染や関節炎などを探してもういちど診察しようかなとなるだろうし、ないのであればIEの可能性が上がるので心エコーをしようとなるだろう。肺炎球菌様であれば、侵襲性肺炎球菌感染症を疑って意識障害があるなら腰椎穿刺を実施しよう、と考えるだろう。すべてグラム染色を確認しろというのは現実的ではないと思うけれども、このように方針や確認後に感染巣の確率が変動する時には確認した方がよい。

 他には、めまい診療ももやつくことが多い。眼振なしと書かれているのにBPPVと診断している記載が最近ちらほらある。めまい診療が難しいというのは分かるのだが……。前失神の除外(前失神と判断したなら失神に準じて考える)、眼振の確認、安静時にも症状があるのか、普段通りに歩けるのか、というあたりを意識してもらうように一緒に当直に入る研修医に話している。安静時にも症状があるのであれば、BPPVとは言えない。普段通りに歩けないのであれば体幹の失調があるのかもしれない。前失神であれば失神と同様に消化管出血や不整脈などを除外してほしい。安静時に症状があり、普段通りに歩けないといっためまいで意識するのは脳血管障害なのでそれなら頭部CT/MRIまで撮影するべきだろう、となる。血圧が低めであれば脳卒中の検査前確率は下がる。脳出血脳梗塞と危険な失神だけ除外できれば救急外来としては良い。Epley法ができるとなおよいけれど、うまくできなくてもそんなに困ることはないと思う。Dix-Hallpike試験は眼振を確認する時にゲロゲロでなければやるべき。HINTs batteryは脳卒中の除外に有用だけれどもhead impulse testの所見をとるのとか結構難しいと思っていて、慣れていない身体所見で危険な疾患を除外するのは良くないと思っている。僕はspontaneous acute vestibular syndromeであればHINTS batteryなどの所見に自信がないのでMRIまで撮影してしまうことが多い。(困るのは小さな病院で当直していて、MRIの撮影がそもそもできない、という時。CTだけ撮影して、小さな脳梗塞はあるのかもしれませんが、CTの検査でははっきりしません、入院して経過をみましょう、といってお茶を濁してしまうことが多い。本来なら転院を考慮するべきなのだが、超高齢者のめまいで小さな小脳梗塞などあるかもしれないが、tPAの適応もなくMRI撮影のためだけに高次医療機関に転院搬送というのは違うような気もするから、入院して翌日CT再検とかにしてしまう。地域の医療資源によってもかわってきそう。)

 指導医がバックについてやらせてみせるタイプの研修病院だけれども、バックにつく指導医が必ずしも体系的に内科救急診療を知っているとも限らない。救急外来なんてバイタルの蘇生だけできればそれでよいという考えもあるかもしれないが、当院は田舎の二次救急病院なので重症者がたくさん来るわけでもないから、バイタルの蘇生に習熟することも難しい。

 直接言ってもよいのだが、言われたくないかもしれないし、別に他人の診療能力が上がらないことで僕にデメリットはそんなにない。何となく臨床研修病院にいる限りは指導も仕事のうちだからと口を出してしまうが、別に世の中の多くの医者は肺炎だからSBT/ABPC、尿が汚いから尿路感染、めまいがあるなら頭部CTとって問題なければ補液して抗めまい薬処方して帰宅させているだろうし、多くの場合にはそれで問題にならない。教育というのは、相手が欲しているものを与えないと効果に乏しいことも知っている。相手のプライドを傷つけないことも大切だ。良い点→指摘したい点→全体としては良くできてます、というフィードバックを心がけたい。忙しいとこういうのやったほういいよ! だけで終わりがちだ。それでも大丈夫なくらいに信頼関係が築けているかというと微妙だろうしな。こういうところを気にするといいよ! ってお知らせしたら、「あの後自分がきちんと診療してないなって感じて2日ほど落ち込んでしまいましたー!」と逆フィードバックをもらったりもした。むむむ。