ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

痛風の予感

 9月末から10月初めにかけて夏休みを取った。しかし誤って夏休み中に外来と当日直をいれていた。もとより3日間しかない夏休みである。週末とくっつけたとは言えかなりの日数を無駄にしてしまった。

 夏休みの直前には部活の同期女性の結婚式があった。不幸にも移動日前日が当直で当直中から痛風発作が起きてしまった。ろくに寝られない当直明け、右足首の激痛で目を覚ましながら4時間のドライブをして結婚式を行う地に前日入りした。”友人”がいないので、せっかくだから食事でもとなったのだが痛風なら日本酒とビールで尿酸をwashoutしたら良いとガバガバな理論を言われた。当直明けの働かない頭で妙に納得した私はとてもおいしかったので日本酒をべらぼうに飲み、めでたく痛風発作を増悪させた。ナイキサンによるNSAIDパルスも相まって胃痛と足首痛に悩まされ、ビジネスホテルのベッドでフィラリア症になったのかというくらいパンパンに腫脹した足を見てひとり後悔していた。短期的な視点による最善手が不幸な結果に終わることはよく経験される。結局結婚式では二日酔いで飲酒をほとんどせずに過ごし、翌朝には大学時代の後輩と温泉に行って足を温めた。好きな異性がいるようだったのでがんばってねと背中を押した。

 個人的には特定の女性に好意を持っている時は大抵うまくいかない。神聖化した相手とは対等な関係になれないからだ。結局のところ、ほとんどの場合はどんな相手でも初対面の段階なら代替可能だ。この人でなければ、みたいな思いは単純に自分の観察範囲の問題に過ぎない。それが思春期の時に好きだった相手とか、すでにねっちょり好意をはぐくんでしまったとか、そういう場合だけが代替不能になる。あるいは永遠に田舎にいて観察範囲が変化しないケースだ。先日モテない男性は女性を神聖化して、モテる男はミソジニストだという主旨の文章を読んで同意した。いずれが原因で結果なのかは不明だが、攻撃性やテストステロンレベルとモテなどの関係から何となく解釈できそうではある。モテる男性は自分に自信があってオラオラしていて、普段は優しくしていて、たまに女性を殴る、そんな偏見がある。

 痛風発作のせいで全く夏休みを無駄にしてしまった。合理的な判断は難しい。株式投資においてなぜ期待されるリターンがプラスなのかということに対する解は、損失を回避したいヒトの特性を乗り越えて投資してもらうためにリスクプレミアムが乗っているから、だろう。それがわかっていても、無駄な損切りをしてしまったり、あるいはこれは無駄な損切りだと思ってホールドしてから耐えられなくなって売ったところが底値で自分が売った途端に上昇するなどということもよく経験される。理論的に正しい解があっても、自分の知らない何らかの情報を他の投資家が知っていて何か自分だけが見逃している要素があってそれで下落しているのではないかという不安は常にある。けれどもそれを乗り越えて永遠にホールドし続ければ時間や銘柄を適切に分散していれば、運用利益は理論上のリターンに漸近するはずである。わかっていることでも、高いリスクプレミアムがつくものはそれだけ生理的に投資したくない銘柄だろうから難しい。那須電機とかSECカーボンを購入してしまったが売ってしまいたい気持ちに駆られている。

 投資も婚活も最善手を選びたいという気持ちが強い。投資はともかくとして1通りしか選べない婚活や人生の最善手は後になって後方視的に他の在り方と比較することができない。だから現在選んだものが常に最善手だと信じるしかなく、これは信仰の領域だ。信仰を生きよ! みたいな気持ちでいた。

 結婚は勢いよ!! などとはよく言う言葉であって合理的に考えたら我々は子供をつくるべきではない。金銭的なリターンは確実に少ないし、子供ができたときの感情は不確実性が高く予測不能だ。社会に適合できずに「あそこはオイシャの家なのに子供はニートらしいわよ」などと世間の目にさらされるかもしれない。マイホームを持つのも金銭的には失敗だ。掛け捨ての死亡保険に変えて、結婚せず、子供をつくらず、携帯電話を格安SIMに変えて、NISAとIDECOを最大まで利用して、外貨を含む手数料の安い複数のインデックスの投資信託に積み立て投資をして、酒もタバコもやらずに健康な生活をして、週末は丁寧な趣味に打ち込む。これが合理的な現代人の”正しい”生活だ。

 個体としての正しさと種としての正しさには埋められない溝がある。いくら思想が現代人としてアップデートされてもヒトのハードが変わらないのだから、正解を生きても幸福になれないのは道理なのだ。

 現代人としての最適解にきっと我々の幸福はない。その場で最善手を選んで夏休みを取得して、その場でお金が入るならとすべて忘れてアルバイトをいれてしまう。また、飲酒して痛風となる。結局夏休みは無駄になり、痛む足をひきずって私は病棟を回診する。

 株式投資も私の生もランダムウォーク理論のように、まったく先は予測できないし、そもそも予測しなくても楽しくなるようにしたい。そしてそれはきっと現代人としての思考の先には存在しない。またアルコールの先にも存在しない。

 なるようになる。先日話していたら、後輩の一人が「結局専門医制度なんてどうでもよい、ここまでに取得しなくてはというお尻が決まっている問題でもないし、取得したから給料が増えるとかそういう問題でもない。自分で勝手に立派になってどこかで取得できればそれでよいくらいの問題ではないか。」指導医氏らもまた同様のことを言う。

 もう少し気軽に生きよう。予測できた痛風発作に苦しむ私がそれ以上のパフォーマンスを思考することで人生に求めようとするのは実際不可能だろうから。