ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

ビアガーデン

 いつものように飲み会の予定を忘れていた。当直明けの倦怠感が背中にのしかかってきて、殺風景な家の布団に寝転がってみたはいいけれど、なんだか心がザラついたような感じで、目を閉じても焦燥感があって寝付くことができない。ゴロゴロしながらツイッターでの見知らぬ人々の殴り合いをみたり、目が疲れるからやめてじっと目をつぶってみたりしていた。

 アルコールが入ってもそんなに変わらないよね、と言われて何を言ってるんだと思ったことは一度や二度じゃない。飲み会明け、殊に二日酔いを伴う時は尚更に低すぎるテンションとこみ上げる気持ち悪くて酸っぱい嘔気でしんどくなる。こんな時に限って、前夜に何か気が大きくなっていけないことをしていやしないかとたまらない不安感に襲われる。別に記憶がないわけじゃないから、一つ一つ思い出してみれば法に触れるようなことをしていないのは分かりきっている。けれども、あの場面であのセリフは適切ではなかったのではないかとか、これを言われた方の気持ちってどうなのみたいなことを考えはじめてどんどん沈んでいく。

 気持ちの大きさの波の振幅がそのまま目の荒いヤスリみたいにただでさえ目を開けていることが精一杯な僕のメンタルを大根おろしみたいにジョリジョリと削っていく。

 ごめんなさいのセリフが苦手だ。僕自身、小さな頃に物を壊されたりして、担任の先生の前で謝って一件落着にさせられる時の謝罪の圧力が嫌いだったし、また逆に大学1年生の頃に推している女の子にうざ絡みした後に本当にごめんなさいと言ったら、謝ればいいんですかねそういうのは実際の行為で示されないと困るんですよね(大意)と言われて泣いたりしていた。

 予定調和に向けた軽い(ように見える)謝罪から受ける力が強めであることは、なんだか心の物理学的に正しさが欠けている感じがする。

 布団に寝転がって、まぶたの裏側にはりついた模様に意識を集中していたら、ラインの通知音が僕に同期飲みのビアガーデンをお知らせしてくれた。

 駅前のテナントがほとんど入っていないビルの屋上につくと風が強くて、遠くの山並みがきれいで、提灯がどこか夏らしくて、まだ日が高いのにおっさんたちが飲んでいて、子供達がわけのわからない叫び声をあげながら屋上を走り回っていた。あっあっと適当な母音を発してグループに混ざって、エビスビールの黒と普通のハーフを頼んで一気に飲み下すと、胃があったまってきて、なんだか穏やか気持ちになってきた。走る子供達が一生懸命で可愛い。気が大きくなって、別に仲良いわけでもない女の子と連絡などしながらビールを飲み続けていた。みんな三年目になって大変そうだなと思う。同期氏の家に泊まって、科学と哲学についてみたいな本を渡されつつ自作のカードゲームをやったりしてから寝た。

 翌朝はいつも通りに気が小さくなって、泣きそうになっていた。中島らもが本物のアルコール依存症の人はずっと酔ってるから二日酔いにならないと言っていた。僕はダメな方にも良い方にも本物になれない。

 家に帰って、朝ごはんも昼ごはんも食べずに、雨が道路を打つ音を聞きながら、布団に丸まって夕方まで寝ていた。このままじゃいけないと冷蔵庫にあった豚肉300gをニンニクと炒めて一気に食べたらなんだか生きててもいい気がしてきたし、なんならゴジラでも映画館に観にいこうかなくらいの気分になってきた。豚さんに感謝。

 ツイッターで僕の周りにはこういう人ばっかり! みたいな対立する派閥をこき下ろすタイプの言説によく触れる。観測範囲内の相手がその属性の一般的な集団だと思う人々が多くてびっくりする。大抵の母親は父親に子育てしてほしいというよりうまくできないのをみてダメだと指摘したいだけだとか、大抵のヴィーガンは肉フェスの横でテンション下がる貼り紙をするからいけてないとか。

 昨晩、同期氏に手渡された本は光が観測される確率の波であり粒の性質もあるってどういうこと? みたいな話をとても直感的に分かりやすく書いてくれていた、そこだけ読んだ。実験が何より正しいと考えて、それありきで仮説を立てて新しい実験をして検証するべきだよね、みたいな自然科学の根本的なところについて書かれていた。

 ツイッターでの論争もそうなんだけれども、自分の観測した事象が普遍的なものであると結構無自覚に信じがちだよなと思う。実験にしたって、例えばそれって隣の銀河系でタコみたいな宇宙人がやっても本当に同じ結果になるの? 地球以外のあらゆる場所で実験することが不可能なのにどうしてそれがそのほかの場所でも常に成立すると考えるの、とか。観測しえないものについて語ることは不可能だから、仕方ないんですかね。

 豚肉を食べた後の僕、ビールをたくさん飲んだ後の僕はシラフの僕とか立ち位置が違って異なる観測点から世界を見ているみたいだ。豚肉アフターに、雨の日の涼しい6月の風がカーテンをひらひら揺らすのをみるとなんだか雨も悪くないなと思う。