ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

そうだ京都に行ったんだった

 当直が一段落ついた。早く寝たほうが良い。はてなブログiPhoneから更新できることを知ってしまったので、短文を頻繁に更新していきたい。ツイッターとの境界が不明瞭になってしまう。

 

 京都には何となく憧れがある。道にははんなりした黒髪清楚なおねえさんが歩いていて、何やら優美なことを話して、和歌とか詠んだりしているに違いない。センター試験で科目ミスして泣いていた時に、京都の予備校を予約して京美人と出会うことだけを目標に生きていた。何故か夢は叶わなかったけれど、大人になったから、京都に行こうが行くまいが、黒髪清楚なおねえたまと仲良くなるということをアウトカムに設定している限りにおいてはあまり人生変わらなかったと納得している。えらい!

 

 学会会場の近くには飯屋があまりなかったので、仕方なく連日餃子の王将に行っていた。いや、嘘か、最後の一日はマクドナルドだった。だから最後の一日だけは昼間にビールを飲むことができなかったのである。

 

 昼にビールを飲むのが好きなのは、背徳感が同じ味のビールにスパイス的に機能するからだ。思えば僕は、背徳感に異常に執着している気がする。黒髪清楚なおねえさんについて度々言及しているのは、黒髪清楚なおねえさん自体が良いというよりもそのけしらかんかんじではないところにけしからなさが存在することによる非常に強烈なけしからなさから来ている。とてつもなく汚れないように見えてその実べつにそんなことないみたいなのがなんだか余計いけないような気がしてしまう。

 

 背徳的な人間だから、餃子をたらふく食べてにんにく臭い吐息を産生しながら教育講演などを聴いていたがあんまり面白いものがなくて残念だった。せっかく高い学会費を払っているんだからもう少し教育講演を充実させてほしいな。

 

 大学一年生の頃に泥酔して好みの女の子の靴下を食べたことがあるらしく、僕もまったく覚えていないし、覚えていないことが何の言い逃れになるとも思ってはいないけれど、とにかく嫌われていたのでした。その女の子が、学会にいて、わたしそろそろ結婚するのと話していた。

 

  へーえ、そりゃー、へーえ、と言っただけでおめでとう! みたいにならないのもイケてないしキモメンのキモメンたる理由、そういうところだぞ! の思いを新たにした。みんな自分の幸せを見つけていく。僕は靴下食べていたころから何一つ変わらずに学会に行ってビールのんでほろ酔いになって、持ち前のADHDを発揮して2回もiPhoneを紛失した。

 

 僕は京都に行き、何一つイケてることをせずに背徳感とは、みたいな話を考えていたら学会が終わった。せっかく勉強する機会だったのに、立派性を身につけることができたかもしれなかったのに、身につけたのは空虚な背徳感だけで、そういうのはどちらかというと罪の意識とかどこへも行かれない閉塞した感じの気持ちに近い。

 

 僕は以前から旅をするとは、ここではないどこかに行くことであって、わたしは常にここにいる、のだから、ここからいなくなることとは結局自分が自分自身から離れることを目指す行為に他ならないと話していた。僕は京都に行きたかったんじゃない、イケてる自分になりたかっただけなんだ。僕が行った京都は何となく僕の行くはずだった京都とは違っていた。 帰り道、お土産を駅で買ってから帰ろうと思っていたのに、ダッシュで新幹線に乗ってしまったのは一体どういうことだろう。ここではないどこかに行きたいけれど、そんな場所はない。