ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

そうだ京都に行ったんだった

 当直が一段落ついた。早く寝たほうが良い。はてなブログiPhoneから更新できることを知ってしまったので、短文を頻繁に更新していきたい。ツイッターとの境界が不明瞭になってしまう。

 

 京都には何となく憧れがある。道にははんなりした黒髪清楚なおねえさんが歩いていて、何やら優美なことを話して、和歌とか詠んだりしているに違いない。センター試験で科目ミスして泣いていた時に、京都の予備校を予約して京美人と出会うことだけを目標に生きていた。何故か夢は叶わなかったけれど、大人になったから、京都に行こうが行くまいが、黒髪清楚なおねえたまと仲良くなるということをアウトカムに設定している限りにおいてはあまり人生変わらなかったと納得している。えらい!

 

 学会会場の近くには飯屋があまりなかったので、仕方なく連日餃子の王将に行っていた。いや、嘘か、最後の一日はマクドナルドだった。だから最後の一日だけは昼間にビールを飲むことができなかったのである。

 

 昼にビールを飲むのが好きなのは、背徳感が同じ味のビールにスパイス的に機能するからだ。思えば僕は、背徳感に異常に執着している気がする。黒髪清楚なおねえさんについて度々言及しているのは、黒髪清楚なおねえさん自体が良いというよりもそのけしらかんかんじではないところにけしからなさが存在することによる非常に強烈なけしからなさから来ている。とてつもなく汚れないように見えてその実べつにそんなことないみたいなのがなんだか余計いけないような気がしてしまう。

 

 背徳的な人間だから、餃子をたらふく食べてにんにく臭い吐息を産生しながら教育講演などを聴いていたがあんまり面白いものがなくて残念だった。せっかく高い学会費を払っているんだからもう少し教育講演を充実させてほしいな。

 

 大学一年生の頃に泥酔して好みの女の子の靴下を食べたことがあるらしく、僕もまったく覚えていないし、覚えていないことが何の言い逃れになるとも思ってはいないけれど、とにかく嫌われていたのでした。その女の子が、学会にいて、わたしそろそろ結婚するのと話していた。

 

  へーえ、そりゃー、へーえ、と言っただけでおめでとう! みたいにならないのもイケてないしキモメンのキモメンたる理由、そういうところだぞ! の思いを新たにした。みんな自分の幸せを見つけていく。僕は靴下食べていたころから何一つ変わらずに学会に行ってビールのんでほろ酔いになって、持ち前のADHDを発揮して2回もiPhoneを紛失した。

 

 僕は京都に行き、何一つイケてることをせずに背徳感とは、みたいな話を考えていたら学会が終わった。せっかく勉強する機会だったのに、立派性を身につけることができたかもしれなかったのに、身につけたのは空虚な背徳感だけで、そういうのはどちらかというと罪の意識とかどこへも行かれない閉塞した感じの気持ちに近い。

 

 僕は以前から旅をするとは、ここではないどこかに行くことであって、わたしは常にここにいる、のだから、ここからいなくなることとは結局自分が自分自身から離れることを目指す行為に他ならないと話していた。僕は京都に行きたかったんじゃない、イケてる自分になりたかっただけなんだ。僕が行った京都は何となく僕の行くはずだった京都とは違っていた。 帰り道、お土産を駅で買ってから帰ろうと思っていたのに、ダッシュで新幹線に乗ってしまったのは一体どういうことだろう。ここではないどこかに行きたいけれど、そんな場所はない。

ポリクリと限界料理の話

 どちらかというと料理をする方だと思う。凝ったものは作らないけれど、ニンニク、脂、肉、トマトかクリームまたは豆乳にコンソメ、あるいは野菜とウェイパーなどを火にかけたりして雑な料理をつくってビールをすすりながら食べながら映画みるのが好きだ。一時、だしの素を使うことに批判的なツイートが物議をかもしたことがあった。楽できるものは楽しないと続かないよ、特に一人暮らしで自炊の利点が見えにくい場合はね、と僕は思う。

 最近一人暮らしを始めた。もう親にパソコンで何書いているの、とか訊かれないですむし、エッチな動画も堂々と部屋で見られる。今日の昼頃に洗濯機を設置してもらった。洗濯機、冷蔵庫、プロジェクター、シアターサウンドバー、AVアンプ+サブウーファー、シアタースクリーン、お気に入りの博物画3枚、先日の結婚式の引き出物でいただいたフライパン。2LDKで5万円、築28年4階建て鉄筋コンクリート、50平米くらいだったと思う。田舎なので物価が安い。目の前には行きつけの飲み屋がある。知っている土地だから新生活という感じはあまりしない。自炊なるべくしたいなと思うけれど、一人暮らしだと金銭的なお得感は見えにくいからそれ自体が楽しくないときっと続かないんだろうなと思う。好きなご飯を作って好きな酒のアテにして、好きな映画を観る、そんな生活ができたらいいけれど。

 

 僕が専攻医として残留している病院は比較的学生に手技をやらせてくれたり、学生が電子カルテのアカウントを持って患者を受け持ち、カルテを書く(指導医のカルテ記載が「学生のカルテを承認しました」の一言だけでその患者の記載が終わることもあるので大学とは少し異なる印象)、朝に採血当番があり病棟で採血をする、動脈血採血があると呼ばれて研修医に教えられながらとったりする、当直をすることができる、初診外来で問診をとらせる(僕は自分に余裕がある時は問診とらせているけれど人による)など、僕の今いる地方の大学のポリクリの中ではできることが多いようで実習に来る学生は基本的に意識が高いことが多い。意識の高い学生と僕が学生時代に接触することはあまりなかったし、冷めた目でみてしまう側だったけれど、教える側になってみると、やりたいことが明確なので、困ることは少ない。

 ここで書いたかどうか忘れたが、大学時代の実習は本当に苦痛だった。わけのわからない内視鏡の画像を延々と見せ続けられ特に解説はされず発達圏の指導医に邪魔だどけと言われ、文体がきにくわなかったようで発達がアレなのでご丁寧に助動詞やいいまわしを赤ペンで一つ一つなおしてくる、あるいは指導する気がまるでなさそうな画像診断医のもとでもくもくとCTを読む(※)。意識の高い一部の学生たちはそれでもすし職人のごとく(すし職人修行が実際どんな感じなのだか僕は知らないけれど)真面目に見学したり調べたりしていたが、僕は非生産性を憎んでいるので、このスタイルは意味がないなと思って、また勉強しても給料増えないし、訴訟リスクがあるわけでもなく、何一つ利益がないなと判断して、カンファレンスの時間は大抵二日酔いでゲロとアルデヒドの香りを放ちながら椅子で爆睡していた。

 最近になってきたポリクリ学生が久しぶりにやる気のない側の人間で少し親近感がわく。学生と同じチームの4年目の先生は極めて立派なので(初診外来に健康状態の悪い外国人の農業実習生が多いから実態調査をしたいなどと言っており感心した、立派だ)、教育熱心だがあんまりやる気のない人間にどう接したら良いかよくわからなくて教育に関するモチベーションが燃え尽きそうみたいな話をしていた。僕もっとひどかったですよと言ってもマタマターいう感じであまり真に受けてくれない。働いてからは訴訟が怖いのと、イケてない医療をしている自分というのが自己肯定感をゴリゴリ削いでいくのが嫌で勉強しているだけなんだ。

 学生時代は勉強することのメリットが見えにくかった。医学自体が僕にとって非常につまらない学問だったし、その面白さを伝えてくれる人もいなかった。例えば、抄読会である薬が効果があるかどうかのRCTを読んで和訳して発表するが、それで終わりで、どう批判的に吟味するかといったことは全く教えられなかった。(自分で勉強しろというのは尤もだけれども、大学病院は教育の役割を担っていることを忘れてほしくない。)RCTでこっちが正しいという話になりました。はい、おしまい、で、実際の臨床における正しさみたいなものについて考える機会は全くなかった。本来であれば、特定の患者を診る時に出てきた疑問に答えるべくガイドラインを調べてみて、そのガイドラインの一次文献の論文にあたり、それを批判的に吟味したうえで目の前の患者の治療方針の妥当性を検証するべきである。それなら知性を要求される運動だがどっちの薬がより効くといった論文を読んでへえそうなんですねと無批判に受け入れるだけの一部居眠りしている人のいる抄読会は本当に生産性がないし、生産性がないことを仕事にするのは頭が弱い。診療に知性はいらないからおつむの弱い意識の高い田舎の小金持ちの無産階級が奴隷になって医者をやっていればいいじゃないの、僕は貴族になりたいよ、で草原を買って城のまわりで羊を飼って暮らすんだ。実習中にはそれしか思わなかった。

 教育というのはなかなか難しくて、ともすれば価値観の押し付けになりがちで、相手を想像するときにどうしても自分を出発点に考えがちだ。意識の低い学生が僕とは全く違う形で意識が低い可能性や、意識が実は高いのに発達に問題があってそのアウトプットの技術に難があるだけの可能性だって十分にあって、色々想定するけれど、それでもなお考慮されないケースがあることを常に考慮しなくてはならない。想像力の地平線の向こう側にも世界があることを、見えなくても存在を想像する必要がある。すし職人が教育の理論を知らないように医師の多くもまた教育についての知識を持たない。非生産的な教育が行われて、形ばかりアメリカに追従して長い実習期間になって多くの医学生が誰かのオナニーの犠牲者になっているという印象すら受ける。オナニーしたければオナクラに行けばよいのだ。

 今日は豚肉300グラムをフライパンで炒めていたら、机の上に先日購入したイナバのグリーンカレー(絶品である)を発見した。豚肉のグリーンカレーもあるにはあるはずなので、ご飯のかわりにグリーンカレーをフライパン上で肉に絡めて食べたら当然神々の食べ物が誕生した。自炊なんてこのくらいで良いよなと思う。自炊のハードルが高くなると、そもそもやる気がなくなるし、人によって自炊へのモチベーションも違うもんな、など。ただ好きなものを好きな時間に食べるのは結構素敵だ、夜にほろ酔いで巨大な肉を焼いたり、チーズイン卵焼きを作ったり、ニンニクと鯖缶とトマト缶とコンソメを混ぜて鯖のトマト煮込みを作ったりできると限界酒徒のQOLが向上する。

 モチベーションに寄り添える人になれたらいいなと思う。ちなみに僕がグリーンカレー豚肉を食べる時に隣でビール飲みながら生きてていいんだよと言って寄り添ってくれる素敵なおねえさんは引き続き募集中だ。

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※5年生の時に実習が苦痛すぎて書いた文章を発掘したので貼っておく

 港町の中心部から3キロほど離れた(家から120キロ離れた)600床強のN病院での5週間にわたる過酷な放射線科実習もあと数日で終わると思うと心が軽くなる。何一つやることがないのにも関わらず八時半に集合し、それから午後五時まで「昼休み適当にとって 」と「今日は終わりにしましょう」以外に指導医とほとんど会話をしない、薄暗い読影室での実習は、まさに心の修行以外の何物でもなかった。(若手の先生は時たま課題をくれたり、会話を振ってくれたりするのだが……)
 パソコンの前に座らされて「まあ適当に画像見ていて」と言われたところで、適当に画像を見ていて毎日8時間潰せるような人間がいたら、それは頭の病気だ。何かしら、読影しなければいけない画像があり、必要に迫られて、この画像にどんな所見があるのか探し、教科書をめくって、鑑別疾患を挙げていく……という流れがあって、初めてできる作業ではないのか。あと、お給料。
 数日経って「画像を適当に見ていて」というのは指導ではないし、学生の指導は好むと好まざるとにかかわらず、そしてそんな暇があるかどうかにかかわらず、指導医の義務であるし、義務を果たしていない指導医は、学生としての義務を果たさない実習中に勉強しない学生を叱る権利も持ち合わせてはいないのだ、ということに気付いた。それからは卒業試験の問題を持っていき、ひたすらイヤーノートで解答を作っていく日々が始まったわけだが、この作業自体は決して過酷なものではなかった。というのも、勿論、勉強に集中し続けることも困難だから、という理由で、読書と平行して作業を行っていたからだ。
 僕の精神を最もすり減らしたのは、このきわめて明快で論理的な解決策に至るまでの理路を指導医が全く理解していない可能性についても考慮せねばならないことだった。その時僕は50代半ばの疲れ切った目をしたえらい先生に「あなたが指導しないから、僕も勉強していない、お互いに義務を果たしていないなら、それでいいじゃないですか、何を怒っているんです?」と言えるのだろうか。勿論答えはNOだ。自分が考えた、自分の正しいと思うことを、相手がいつも理解しているとは限らないのだ、ということと、色々な可能性を考慮しつつ相手の気分を害さないこと、が大切だと分かる程度には僕も大人である。
  これらの考えから、僕は言われた通り「適当に画像を見ている」風を装いながら、隅っこで小さく卒試の勉強をし、また読書をする、という折衷ポイントに軟着陸をすることにした。勿論、実際に指導医に「画像を見ているな」と思わせることが目的ではない。「少なくとも適当に画像を見ているように思わせる努力はしているのだな」と思わせることが目的だ。このあたりに気を回すのに非常に参った。時には「なんと不真面目な学生だ!」と思われているのではないかと勝手に考え、いっそのこと堂々とサボるのもアリなのでは、と葛藤したけれど、理性ある人間は強い忍耐力を持った人間だ。僕はそういう人間になって、モテモテになる。(筆者注:このころは彼女がいたはずである)
 そして、とうとう寿司は食えずじまい。外科を選べば朝四時くらいまで飲み会を連日開催してもらえたらしいのだが、ううむ。今更いっても遅い。また、指導医はこの病院の研修医の採用担当のトップなので、僕はこの病院で働くことはできないでしょう。


 次の実習1か月が最後の実習になる、と考えると、長かったなあの感がある。 本当にこんなに長期間(一年半)の実習が必要だったの? 実習が長引いたせいで、座学の日数(コマ数ではないらしい)が足りないため、半日だけの講義を長くとって休みを削ってまで、本当に必要だったの? 卒業してから、実習の期間がちょっと長かったからって、何か得するの? そして、その得って、二度と帰っては来ないエネルギッシュな20代前半を、その時しかできない娯楽に打ち込むよりも本当に大きいの? と、まあ、不満は絶えない。そして、高校から抱き続けていた「僕がなりたいのは、立派なお医者でなくて、満ち足りた人生を送る人だ」という思想は結局こんなに長く実習を続けていて、楽しそうに、あるいは死んだ魚のような目をしながら臨床戦士をやっている先生方を見ても、まったく揺らぐことはなかった。
 最近は、将来ニュージーランドあたりで牧羊をしながら、酒を飲み映画を見て読書する生活を送るために、英語の勉強を始めた。もっと身近な夢が欲しい。 

 

Tinderの話

 店の中に入ると建物自体は一般的な定食屋なのに、異国の耳慣れない音楽と昼からビールをのみつつポルトガル語と思われる言語を話すおじさんとおばさんと若者のグループが大皿にもられた食事をつついていた。

 「せんせ、私のことブログのネタにするんすか、うわあ」

対面でペルー料理の意味不明なカタカナで書かれたメニューを眺めながらtinder女子は難しい顔をしている。

 何か月か前に「Tinder始めてみたら、私はこれでセフレみつけておまたの乾く時間がないくらいよ」と言われた。そうして素直な僕は暇な女子大生なるTwitterアカウントにより一躍有名になったそのTinderなるマッチングアプリをインストールしてみたのだった。位置情報を利用して相手との距離(地名は明かされない)とプロフィールが表示される、そして女の子の画像を右へ(好き)左へ(嫌い)とスワイプする仕分け作業に興じて楽しく過ごしていた。お互いに好きの方にスワイプすると"It's a match!"と突然でかでかと表示され、アプリ内で連絡を取ることが可能になる。

 たまに東京に行ったときに起動して、周囲にいわゆる丸の内OLというやつがおるのでは! と思って使ってみたりしたが、マッチした数人とお話してみても、連絡先訊くのも何か怖いなとか、本当に中身オッサンでないとは言えないしなとか、思ってイマイチやる気がでなかった。また、たまに「ヤリモクNG 真面目な関係求めています」みたいな女性アカウントの自己紹介があって、ぞわぞわした気持ちになった。スラム街を全裸で歩きながら「レイプNG」の看板を持ってるみたいな行為だし、もう少し冷静になった方が良いだろう。自分とその周囲を客観的にみつめる視点に欠けている。

 ある当直の夜に突然、アプリ内の女の子から連絡が来て、「新手の詐欺かな、個人情報は渡さないぞ、こちとらただでさえ大学の同窓会の名簿が流出してしょっちゅう節税のためにマンション買いませんかみたいなクソ電話が来ているんだ」と「ちんちんドキドキ」のないまぜになった気持ちでTinderをひらいて、アプリ上で当たり障りのない会話をしていたが、プロフィール画像に何となく見覚えがある、職業に「看護師」と書いてある。研修で他の病院に行ったときに知り合いになった看護師さんだった。TinderではLINEの連絡先を教えてもらうことが第一関門のようだが、僕はすでに連絡先を知っている。話のタネに面白そうだったので飯に行くことにした。それから陰毛をブラジリアンワックスで処理した話など傾聴しつつ準備万端マンだなあと思っていたら飯の日になった。ちなみに同期の女性研修医からは「絶対やばい子だけど優勝は簡単そう」とエールをもらった。

 デートの日、完全に僕の趣味でシュラスコ食べて飯トレする予定が、駐車場が開いておらず、その近くのつぶれそうな定食屋風のペルー料理屋にはいることになった。ペルー料理が何なのか分からないが、腹を減らしたBMI 27の26歳のオッサンの胃袋を満足させてくれる食事はきっとあるはずだ、ブラジルと近いし、シュラスコみたいな肉料理がペルーにもあるに違いない。きっと芋煮と豚汁くらいの差だろう。

 ペルー料理は想像通り肉肉した感じだった。色々な肉が盛られたプレートに乗ってきたチャーシュー風のなにかは絶品だったが、名前はわからない。豆を白っぽいソースで似たシチュー風の何かと緑のソースでスプーンでほぐれるくらい煮込まれた牛肉と生玉ねぎの酢漬けとライスが盛られた料理も名前はまったくわからないが間違いなくおいしかったし、結局食べきれずパックにいれて持ち帰った。

 昼時だったので客は絶えず回転していたが、僕ら以外には誰一人日本人が来ていなかった。客はポルトガル語話者が多いようで、店の人々はおそらくスペイン語を話すので通じないのだろう、時折日本語交じりで会話していた。こうやってピジン言語とかクレオール言語とかできていくんだろうなあ。そういえば、宜蘭クレオール宜蘭クレオール - Wikipedia)なる言語を去年あたりに知って音声を聞いたんですが不思議な感覚になって面白いですね。東北の高齢者の言葉(津軽弁 雑談中のおばさま。 - YouTube)と同じくらいわからない。ところでそもそもスペイン語ポルトガル語何となく似ているイメージだけれども、何となく通じたりしないんだろうか。(調べてみたら、それぞれ自分の言語を勝手に話してもお互いある程度通じるらしいですね。)

 そんなことを考えながら飯を食べて満足したら、彼女が袋からコントミンクロルプロマジン)を取り出して飲み始めた。袋にはほかにクエチアピンとパロキセチンが入っている。どうやら本物のメンヘラのようだった。

 どうしたもんかなと車に帰りの車に乗って、理解可能な感情には支持的に、理解不能な感情にはほんのり指示的に、ちょっと違和感のあることについてはそれってどういう意味だろう、と問診しながら運転した。希死念慮の強い時にオーバードーズしてしまったと言っていたので、僕と今日このまま別れた後に死なれたら後味が悪すぎる。リストカット若いころしていたけれど、今はしていないと話はじめた。医療者モードに僕が入ったのに感づいたのか、患者モードになってきたようだった。

「私にはそりゃあ色々とコンプレックスもあるけれど、私以上にイケてない人だって世の中には沢山いて、特にほら、私高校受験から失敗してFラン高校に行ったから周囲の人いわゆる底辺のDQNばっかりで、でもそんな内面が幼い人間も勢いで生エッチして子供作って、もちろん離婚とかする人もいるけれど、それでもマイルドヤンキーとして立派に再生産してさ、経済もまわして、立派だなって思うね、あの手の人たちに足りないのは内省と知性だと思うけれど、まあ私はアレだけど、内省はすごくする方で、常に自分の何がいけなかったかとか考えているんだけれど、そうしてそれができておらずに周囲に迷惑をかけながら多罰的に生きる人々を軽蔑しながら生きていたんだけれど、今になってみれば客観的にみて手首切ったりオーバードーズしたりしている私の方がダメダメなわけで」

何となく抑うつ気分だったようだけれど、そしてアウトプットが自傷行為になるのはアレだけれど、自己肯定感の低さや言いたいことはよく理解できたので、このまま家まで送っていくのもちょっと申し訳ないかなと思って映画『バンブルビー』を観ることにした。ビートル乗りの僕は観ること自体は前々から決めていたのである。

 『バンブルビー』は機械を模倣できる宇宙人が地球に来て記憶喪失になり黄色いビートルになって、亡くなった父親を忘れられず、母が再婚してできた新しい家庭になじめない女の子と触れ合うというハートフルアクションSFである。どこかで聴いたことのある曲がBGMに多用されているのも良い。

 鑑賞後、帰り道で僕のビートルに向かって変身するように呼び掛けていたので、強く生きてくれと思いながら家まで送った。手首を切らなくなったのは自傷行為がTinderでの出会いに形を変えただけなんじゃないかと言ってみたけれど、本人は否定していた。本当はどうだか知らないし、僕がどうこう口をさしはさむ話でもない。

 ストレスをため込まない簡単な方法は多罰的になることだけれど、自罰的や無罰的な人間が多罰的な人間を見下してしまうのは、その特性が自分の幸福にとって何ら利益にならないのに捨て去ることができないからだ。捨てることのできない無駄なものは、捨ててはならないものだと思ったほうがずっと精神衛生上良い。自己肯定感の低さを、尊い内省の賜物と考えると、少しは救いがある。

 先ほどツイッターを眺めていたら、新しいお札の肖像について、これ誰だよと文句を言うより、こんな人がこんなことしたんだなと世界を広げられる豊かな生を送りたいといったような趣旨のツイートが流れてきた。そう、このツイートを読んでこの記事を書くことにしたのだった忘れていた。

 無罰的な僕は自罰的な女性と謎のペルー料理を食べて満足な休日を過ごした。多罰的人間だったら、シュラスコの店の駐車場が開いていないことにイラついて美味しいペルー料理を楽しめなかったかもしれない。

 とにかく、精神科面接実践編のデートはこうして幕を閉じた。時たまLINEでメッセージが送られてくるのでまだ自殺はしていないらしい。そういう点で優勝でなくても、とりあえずこのあたりが局地的勝利なのかもしれない。婚活に大金をつぎ込んでいる指導医にこの話をしたら「それ患者になるからやめた方いいよ」と適切なアドバイスをもらった。僕もそう思う。終戦にしなくてはならない。客観的に内省してみても。

レジナビの話

一週間ぶりに東京駅の新幹線のプラットフォームに降り立った。奥に見える丸の内のオフィスビルは高く澄んだ関東の暮れゆく冬空を背景に異様に清潔そうで、あこがれつつも田舎育ちの僕にはどこかよそよそしく何となくなじめない。一方、新幹線乗り場というのは、在来線乗り場よりも帰省客やら遠距離恋愛カップルなどが多い所為か、どこかさみしい場所に思えて、さらに黄昏時ということもあり、妙にしみじみとした気持ちになってくる。びるたかーいと旅行気分であんぐり口をあけながら、空をみつつ子供たちの嬌声を背後に居酒屋へと向かった。宿泊するのは毎回神田駅近くのホテルである。居酒屋が多く、出張のメインイベントたる食事会の場所に困らず東京駅にも近くホテルも比較的安いというのがおそらく理由だ。いつも通りにそれなりにのんで、三次会のラーメン屋で鼻が馬鹿になっているものだから狂ったようにニンニクをいれて、朝自分の口臭に驚いて起床するまでがいつもの流れである。

最近は隙間時間に飲酒してしまうせいか、めっきり読書をする時間が減ったように思う。何だかんだ、移動時間に読むだろうと今回もリュックサックに文庫本を忍ばせておいたのにもかかわらず、読むことなく終わってしまった。以前読んでクソ面白くなかった本が面白く感じられるみたいなところに、成長か経年による歪みかを感じることは、読書におけるサブの楽しみ方の一つで、内容が変わっているはずがないから、きっと変わったのは僕に違いないし、何だか不思議な気持ちになる。

小学校4年生くらいのころに、突然自分は人間的に完成したと思いなしたことがある。理由は思い出せないが、それまでは大人的大人というものの精神性を思い描くことができないという形で思い描くことができたのにもかかわらず、その程度の年齢から理解や解釈の可能な対象としてみるようになったからかもしれないし、母に学がないせいか少しずつ話が通じなくなってきたことも原因かもしれない。

とにかくそんな妄想をしていた時期もあったのだけれど、その手の妄想は所詮妄想に過ぎなかったなと思う程度の年齢に僕もなってきた。

学生の頃、実習がとにかく嫌いだった。私はきわめて意識の低い学生であったし、論理的一貫性を重んじるタイプの人間でもあったので、地方の駅弁Fラン大学に入って何となく将来がふさがれたように思われる中、給与に関係しない努力をしてみようとは微塵も考えなかったのである。それでも指導熱心な先生のもとにいるときには血迷ったのか、医学の面白さみたいなものを錯覚しそうになったこともあったが、錯覚もまた錯覚に過ぎない。条件が少し変わるとそんなものはすぐにまた見えなくなってしまう。多くは指導になど全く興味がなく、初めて書かされる症例報告風のレポートに対して、%の前に半角あけるのはダメだと今までどこでも習わなかったのか、現病歴の主語は患者だし、入院後経過の主語は医師なんだけれどどうしてそんなことも知らないのかななどとグチグチ文句を言われたり、内視鏡室の時間かもしれないがあまり近寄らないでくれと言われたきり数時間何も指導されず立ちっぱなしでいたり、昼休みに「私おひる行きます」五時に「私帰ります」しか話さない精神科的疾患のありそうな指導医、看護師には邪魔だからどけと言われ、どいて早く家で僕だって寝ていたいのに家に帰ると単位がもらえない、意味不明のカンファレンスに朝早くから出席させられ、まったく術野の見えない手術にじゃんけんで負けると入らされ、何一つえるものもなく、何一つ勉強したとしても僕の人生を豊かにしない無駄を結晶化させたような時間で思い出すだけで吐き気を催す。

ええと、何の話だったかな。

そう、そんな僕でも気が付いたら研修医になって、気が付いたら学生に指導する側になっていた。ポリクリ生は外病院実習として4週間、そして頻繁にやってくる。自分がやられて嫌だった生産性のない時間的拘束とお昼ごはん・帰宅のタイミングは空気を読むほかない、ということがないように心を割いている。あそこに見えているのは、かつての自分かもしれない。しかし、僕のいる病院は来た学生に血培とってもらったり、A採血してもらったりすることで有名のようで(僕は県外大学出身なので何も知らなかった)意識の高い層が多いようだ。生温かい目で見守りながら、少なくとも本人の希望と生産性だけは考慮してあげられるように努力している。

レジナビでは病院の紹介をしなくてはならない。しかし、来るのは臨床実習すら始まっていない学生だったりで、共通の言語がない。「CVCを年に何回いれるといったことがどの程度意味のある指標なのかというと微妙かもしれない、実際のところ適応を適切に判断することも大切だよね」「市中病院か大学病院かという枠組みだけで考えるのもイマイチじゃないかな、多くの大学病院ではたすき掛けを採用しているだろうし、逆に市中病院でもたすき掛けをしているところもあるわけで、そうなるとどこに籍をおくかということよりも実際に行きたい複数の場所へのたすき掛けを使用しやすいのかどうか、といったことの方が大切だよね」とか「ECMOとか回せる大きな病院は確かに魅力的かもしれないけれど、別に集中治療医になるわけでなければ今後どれほどいじる機会があるのかも微妙だし、何になるために何を学びたいか、みたいな話が結局のところ大切なんじゃないの」「三次救急は見ておいてよいかもしれないけれど、救急医にならない人間にとって必要なことは三年目以降の当直で苦労しないために軽症から中等症に見える人々からいかに緊急性が高く重症度が高いものお拾い上げて初期診療を行うかという修練をつむことなんじゃないかな」といった話はあまり通じない。おそらく、僕が言われてもわからなかったと思う。親切にそんなことを話してくれる人間は僕の周りにはいなかった。教育的である方が良いとか、人間関係がうまくいっている方が良とか、そういうレベルではなく、学習スタイルも目指すべきものも違う中で誰にでも良い病院なんてものは存在しないのにもかかわらず、学習スタイルも目指すべきものもわからない人々に自分の病院があなたにとって最適ですよと売り込むことは無理だ。何か魚を食べてみたくて、それは鯖なんだけれど、鯖だと本人はわかっておらず、けれども魚市場に来て、おいしい魚はどれですか、でも自分あの魚、いや、わからないけれど、あれじゃないとだめなんですよね、いやだめなのかどうかすらわからなくて、うーん、魚?? と頭を抱える人間に正解を教えることは原理的に不可能なんだ。だから、結局だれにでも当てはまるような、雰囲気の良さとかを売りにして、一回来てくれれば合うかどうかわかるよなんて適当なセリフしか吐くことができなくなってしまう。けれど、お互いの構造を考えればそれは仕方のないことなんだ。

ご当地キャラクターの着ぐるみをきて、シャドーボクシングなどをして遊んでいたら、それでも数人がブースに来てくれた。たまに若い人々と話すと、自分が昔とは違う場所に立っていることに気が付く。毎年毎年新しい若人が大挙するレジナビのようなイベントは一種の読書性とでもいえるような、変わらない精神性の指標になる。いつしかその指標が地平線の向こう側へ落ち込んでしまった時、僕は大学病院で僕を指導してくれたイケてない指導医になっているのかもしれない。

そんなことを思いながら、帰りの新幹線にのった。日曜日夕方の東京駅の新幹線のプラットフォームはごった返していて、誰もが旅か出張かで疲れた顔をしながら列に並んでいる。新幹線の中で指導医氏と二年間の振り返りタイムがあった。僕は成長できたんでしょうかねえと、まあよくわからないけれど、研修はとても良かったですとお話しした。

ゲロの中身と私がここにいる理由

自分の文章というのはあまり読み返したくなるものではなくて、むしろ書いた瞬間に破いて捨ててしまいたくなる。多くの場合において、書かれた文章や話された言葉たちは、メンタルのゲロみたいな存在であるから、犬のウンコを木でつつく小学生みたいな気分で人様の文章を読むことは楽しくても自分の文章を読むのは多少なりとも苦痛を伴う。つついて「あっ、昨日食べたモヤシあったね」とか発見しても楽しいものではまったくない。しかしなんとなく今日読み返すことにした。

最近、何者にもなれない人や何者かになりたい人に関しての文章に良く出会う。たらればさんの高円寺で~の記事(あの高円寺のユニットバスで、何もかもを欲しがっていた - MOOOM(モーム))(精神的な血族というふわっとしたワードがこれほど僕にとってsolidに感じられたことは今までなかったし、おそらく僕の記事をよんで苦笑している人には少しニヒルに笑いながらも心臓の裏側あたりの毛羽立ちと感じる内容だと思う、僕はこういう言葉を吐く人間にこの先なれるのだろうか)だったり、戸田真琴さんのアメリカ横断する無謀な中学生を生温かい目でみたりする記事だ。ツイッターでこれらの記事が回ってくる。

そういえば僕がここに初めて載せた文章も何者にもなれない話についてだった。何者にもなれない(今だけでなく、おそらくこの先もずっとなれない)自分に何となく劣等感を覚えてみたり、こんなはずではなかったなと思いつつ、けれども何者かになっているなと僕の考える人々のあまりに私生活を打ち捨て修行僧のように日々を生きて自己肯定感を高める状況を考えるに、僕の居場所はそこではないなと感じている。ツイッターの特性上、自分の好きな分野の人や情報だけに接することが可能である。おそらく、僕は何者にもなれないことに関する潜在的なコンプレックスを持つ人々の、その手の歪んだ自意識についてまったく述べていないにもかかわらず発してしまう波長に勝手に感応しているんだろう。

先日、沖縄に行ってきた。2/15-16で日本病院総合診療医学会学術総会があった。小さな集団が対象(※1)なのに年に2回もあるので参加者は少ないのが常なのだが、沖縄でやるということもあり、学会には少なからずフェス的要素があるために今回は参加者が多かった。初日はついたのが余りにも遅かったので、感染症コンサルタントの青木眞先生のありがたいお話を少しきいただけで終わった。質疑応答の時間で、どうしたら総合診療医が流行るかな、といったことを訊いた中堅ドクターがいた。青木先生は、総合診療医はスーパーマンが目立ちすぎて、ドクターGみたいなイメージが強くてあまりの意識の高さにヒいてしまう。もう少し門戸を広く、ハードルを低く、親しみやすい存在にしてみたら、本来なら2、3割はいて良い科なんだからさ、と話された。そうだよね、僕も総合診療医になりたいです、と話す人の瞳の輝きが苦手である。違う世界の住人だなと感じてしまう。(僕は意識の高い人の分類を二つの軸でしている。一つは真の立派性、つまり真に高いインテリジェンスを十分に発揮して、何らかの仕事をしているかの軸である。もう一つは、自分自信の意識の高い性をどれだけ愛しているかの軸である。多くの人は後者の軸が猛烈にプラスに傾いているから所謂立派性を獲得している。けれども前者の真の立派性の軸が伴うかどうかは別問題だし、そこが伴わない人間を僕は心底馬鹿にしている。それは僕に真なる立派性がないために、意識高い性を持つ自分を愛したいのに愛せないという現状があるからかな、本当は僕みたいに底辺している人間だって、立派になって、立派な自分自身をお前はこんなに立派なんだから、もっと幸せになれると、と言ってあげたいんだ。けれどもそれができない程度の中途半端な知性をかろうじて獲得しているからつらいの)そんなモヤモヤをかかえながらも、しかし、僕は総合診療科専攻医になる。世の中何が起こるか分からない。

学会のなか日の夜、指導医と後輩研修医と一緒にフリーランスで人生を楽しむ女医さんとその夫のフリーランス呼吸器外科医、さらに医療系ベンチャーで働くバリキャリ女性(後で調べたら僕も利用しているアプリを作っている会社のCOOだった)という奇妙なメンツで飲む機会があった。フリーランス女医は英語が勉強したくてdmm英会話で英語勉強したり突然インターンとして沖縄の海軍病院に1年行ってみたり日野原賞取ったりする猛者である。バリキャリ女史はリクルート等で働いていたゴリゴリのキャリアウーマンでとにかく強そうである。

強い人たちは医療の未来を語る。曰く(以下は完全に僕の意訳です)、医療における臨床推論やガイドラインにそった最適な医学的治療の選択といったものは、AIの得意分野である。しかし実際所謂ガイドラインに沿った最適な治療が最善手なのかというと微妙である。患者と我々は病気の層で接することでその層での問題を解決しようとするが、病気の層は生えている木で、根っこや土についての介入の話になるとそれは俺の仕事じゃないと言う人が多い。俺の仕事じゃない、本当によく聞くセリフだ、ばかたれ。けれども仕事忙しい、認知症の親の介護もしている中年シングルマザーが雑な飯を食べている時、糖尿病のコントロールが悪いからといって食生活ちゃんとしてねと外来で二言三言話して、慢性疾患管理加算にチェックをいれても何も解決しない、そういう視点も欲しいじゃないか、ねえ、と。

バリキャリ女史曰く、医療者の多くは一応は接客業の側面を持つにも関わらず横柄な態度を取る人も少なからずいる。サラリマンは仕事をもらうが、医療者はむこうが見て欲しくてやってくるから、まあ違うんだけど。その顧客だけど純粋な意味で顧客ではない、といった医療者患者関係の改善に貢献できるタイプの何か仕組みなどあればいいな、と。

真面目な話なものだから、僕は話すこともなく隅でみんな意識が高くて(そしてあなたがたは僕の作った軸のどこに位置する人々なんだろうと考えながらも)すごいなあと思って小さくなりながら石垣島ラム酒の注がれたグラスを延々と傾けていた。意識の高い人々の集まりだったので、ヴィーガン専門店の飲み屋だった。ラフテーはいつまでたっても供されない。当然蒸留酒ばかり飲むことになり、そのうち酔いが回ってくる。だんだんと突っ込みをいれたくなり、とうとう話にチャチャをいれてしまった。

(勿論もっと柔らかい言い方をしたんだけれど)お話中失礼いたします、僕思うんですけれど、患者さんと良好な関係を築くことは患者満足度には繋がるけれども僕の満足につながりますか? 意識の高い人というのはえてして自己肯定感や承認欲求のために患者満足度をオカズに自慰行為に耽りがちですが、そうでない医療者(※2)が患者さんのためにと善意で頑張ることに何のメリットがあるんでしょうか。訴訟のリスクが減るとか、そういう実利的メリットはあるかもしれませんけれど、そうでないなら別に頑張っても給料も変わらないし、僕自身の幸せが増えるわけでもないのにどうして患者関係を改善しようとするんですか。先ほど話されていた顧客云々の話、それなんですが、僕らはその満足度を追求しなくても家族で年に一度バリ島で遊べるくらいには稼げるんですよ。そこを頑張らないといけないという動機付けがいつも置き去りになっていませんか。医療系ベンチャー等で意識の高い層と触れていると気が付かないかもしれませんが、患者満足度と自分の幸福の二つの軸の角度の大きさは人によって異なるんですよ。

みんな立派だったから意識の低い僕をバカにしないで、よしよし君はそう思うんだね、無駄や非効率性や慣習の慣習性を忌避して自己の幸福という到達点に向けて常にシステムの最適化を求める思路は(おそらく嫌味ではなく)大切な視点ですよねと言われた。偉い人が偉いのはやっぱり偉いからなんだなと。みんな大人だ。周囲の優しさに生かされている。話し終えてから僕は医師としての適性がなさすぎてそのうちわたし自身の存在すら消えて無くなるのではないかとおびえていた。というのも、今更わたし自身からこの職業を取ってしまったなら、残るのは硬くなった肝臓とひねくれた厭世的で根拠のない自信と自信のなさの崩れそうなバランスの上にやっとこさ乗っている不健全なメンタルだけではないのか。

どうして僕は純粋な善意や勉強の意欲といったものに対して不自然なまでに懐疑的なんだろうか。そこの病理がサッパリ分からない。最近そのことばかり考えている。

1年生が病院見学に来ていた。総合診療医に興味があるという。みんな聡明そうである。「先生はどうして病院総合診療医として働くことに決めたんですか?」そのつぶらな目に僕は応えることができない。彼らの瞳には何者にもなれない自分自身への苦悩の濁りがあまり見えず、思い描く素敵な漠然とした未来が目の奥に光っている。

おそらく僕がここにいるのは、何者にもなれない自分自身との決闘を選択してしまったからだ。僕は現状何者にもなれていないし、何者かになれる気もあまりしていない。多くの人は何者にもなれないけれど、何者にもなれないなりの幸福を生きるし、何者かになれた人々の物語がネットの発達によってあまりに僕らにとってリアルに見えるから、自分が大それた物語の主人公になった気がするだけだ。

けれども、モンテクリスト伯フロド・バギンズになれなくても、『武蔵野』とか『小僧の神様』とかの主人公に僕らは十分なることができるし、それだって十分に素敵な「何者か」なんだよね。しかしこんなことを考えていて一体何になるんだろう。何も僕の幸せない貢献しないことを、考え続けずにはいられない。これが病気でないなら一体何だと言うのか……。制吐剤が欲しい。

 

(追記)

今気づいたんですが引用先のブログにも『武蔵野』が出ていたしたね。あれ書いている人本当に他人とは思えない。

 

※1 もともと総合診療医系の学会が複数あったものが一つにまとまったものがプライマリケア連合学会だという。その中で僕らは違うんだと分裂したグループが病院総合診療医学会を作ったとのこと。病院総合診療医の先生方が理事とかそういう役職もあまりなく、居場所のない感じがしたからという話をきいたんだけれど、僕としては家庭医等の先生方に民医連関係者が多く、共産党臭さが強くて、そういうのと関わりたくないからと分裂したんじゃないかなとかってに邪推している。ただ、自治医大系の地域医療振興協会の人々はプライマリケア連合学会に所属しているんだろうか? あそこは政治的な香りがしないので、その系統の人々が理事等に多かったらたぶん僕の勝手な説は外れているんだと思う。調べるのが面倒なので調べていない。

※2 医療者になるような人は大抵その手の人種(つまり患者満足度で自分も気持ちよくなるタイプの人間)だから問題になりにくいという話にもある、DV夫に殴られながらわたしにも悪い所はあるし、何しろこの人はわたしがいないもダメだもの、と話す妻の精神構造に似ていると僕は思う。

セワシ君、イマ・ココ、ツララとインフルエンザなどに関して

診療所は峡谷に面しており、窓の外ごついツララの向こうに見える寒々しい対岸の岸壁はモノクロで水墨画みたいだ。鳥は一羽として鳴かず、ボボボとうなる古いガスストーブは信じがたい短時間で部屋を暖める。部屋の熱にツララが解けて、時折階下のやねにガラガラと落ちる音が心地よい昼休みの転寝を中断させる。

冬の診療所と言えば(なぜか冬の救急外来も)インフルエンザだ。インフルエンザ自体は寝ていれば自然軽快するのに、わざわざ「【主訴】インフルエンザ迅速検査希望」でインフルエンザ様疾患(という言葉があるらしい、昨日コクランレビューを読んでいて初めて知った)の人々が待合室にやってくる。

インフルエンザ診療は少し厄介だ。まず、迅速検査の感度は低いと言われているけれど、調べる文献によってマチマチで困ってしまう。添付文書では9割程度と書かれているものが多いが、今日の臨床サポートを見ると6-7割だと書いてある。一次文献に当たれという指摘は全く以ってその通りなのだが、論文を批判的に読む技術が自分にあるとは到底思えないから、一次文献に書かれた検査の感度等を信頼してよいのかどうかは判断できない。結局、えらい先生(きっと批判的に論文を解釈できるのであろう人)が書いている今日の臨床サポートやDMP、Up to dateの記載に頼ることになる。先日同期氏が話していた『研修医の「Pubmedに書いてありました」ほどアテにならない根拠はないよな』という意見に膝がぶち壊れるほど膝をうち、壊れた人形みたいに猛スピードで首をかくかく振って同意を示したい。まさにその通りだと思う。ということで、感度6-7割程度だと僕は考えている。臨床における検査意義を考える上で非常に微妙な数字で困ってしまう。

一般に、多くの臨床医は検査前の病気である/ない確率を、高い、中等度、低い、まずない、くらいにふわっと分けて考えている(と思う)。そして検査後にその確率が変動する。治療をするかどうかはその人の重症度や緊急度によって変わってくる。心筋梗塞かどうかわからなくても致死的不整脈が止まらなければ心カテをするしかない(他にすごい電解質異常とか明らかな原因がなければ心筋梗塞くらいしか解除可能な原因がないから死なせないためには侵襲が大きくても可能性がそんなに高くなくても心カテするしかない)。夜間の転倒で橈骨遠位端を痛がる高齢者で転位もまったくなくてレントゲン2方向撮影したけれども骨傷がはっきりわからなければ、シーネを巻いてか明日以降再診で整形外科にかかってもらえば良い(別に今すぐにしっかり診断しても予後が変わらなのでCTとったりうなりながらモニターを何十分も眺める意義があまりない)。検査や身体所見の感度や特異度の特性の問題の次に必要なのは、「その疾患である可能性が中等度でも治療する」とか「別に今見逃しても良いので可能性が高くなければ治療しない」とかをあらかじめ決めておくことだ。所見と病歴から検査前の確率をふわっと考えて、感度や特異度や侵襲性や医療コストを考慮した上で検査や治療をするかどうかを決めていく。感度が高くないなら、見逃し例が多くなる。致死率が高い疾患であれば、見逃し例を出してはならないので、感度の低い検査が陰性であっても治療するべきだ。一方で見つけても方針が変わらないのであれば、別に検査自体をしなくても良いだろう。折れてるかどうかはっきりしないような肋骨の骨折を深夜の救急外来で一生懸命に探す必要性はおそらくない。折れても折れてなくても希望があればバストバンドして帰宅である。

外来での(特に診療所における)インフルエンザ診療は、基本的には「生来健康か軽微な併存疾患のみを持つ人のインフルエンザ様の症状を呈する人をどう扱うか」である。WHOのガイドラインでは基本的に肺炎やら脳症をきたしていないリスクの特に高くない人のインフルエンザなら特に治療は必要ないと明記されているくらいだから、基本的には見逃し全然OKの疾患だ。

イキり研修医はよく(まさに今の僕のように)検査の感度や特異度やベイズの定理についてしたり顔で語って、「この人は検査が陰性でもインフルエンザの可能性は十分にあるんだから、最初から検査しないでいいよね」などと言う(イメージがある。勝手なイメージで、残念ながら僕のまわりにはそういうイキり研修医がいない。僕はイキりたいけれど、イキれない。悔しい。だからいつも仮想敵として心にイキり研修医を飼育している)。まあ、もちろんそれはそれで正しいのだけれど、耐性のことを考えるならヤタラに高インフルエンザ薬を処方するのはどうかなとも思っている。見逃しても大丈夫な疾患を正しく診断することの意義、というのが僕にはよくわからない。見逃して、対症療法薬のみだして、あるいは寒気が強くて高血圧などがなければ麻黄湯あたりを出した方が公衆衛生的には良いのではないかな、と思う。以前は僕も、検査の感度について言及して、主訴インフルエンザ迅速検査希望、という検査をするかどうかを決める権利はあなたにはありませんよね、と思うところから始まる一連のもやもやと正対していた。しかし、これは非常に効率が悪いし、僕も車検の時にいちいち車がどういう機序で動いており、どの部分がどうやって壊れたのでどの程度の緊急性でそれを直さなくてはいけないか、なんて話を一度もされたことがない。きっと、どこの分野でも、相手はわかってくれないよな、と思いながらふわっとした説明で、わかった気にさせることが大切なんだろうな、と思う。僕が現時点でたどり着いた答えは「主訴検査希望の健康な人が受診してきたら検査の感度や特異度については全く触れないで、迅速検査を提出して、陰性なら風邪ですかねえ、と話してメジコントランサミン、ペリアクチンを出して帰宅にする」である。

働き始めてから、最終的なアウトカムはどこ?という話を常に考えるようになってしまった。この病気を診断する意義はあるの? といった仕事の次元から、働く目的が稼ぐことであればどうして美容外科医を目指さないんだ? といった仕事自体に関する次元、そして僕は何のためにいまここでこうしているんですか、という中学生くらいで本当だったら向き合うべきだった問題まで。最終的な目的地が見えない多くの問題が日々あられのように僕の体を打つ。

僕がはじめてドラえもんを読んだのは小学校のころだった。ドラえもんとの初めての接触がいつだったかは記憶にもうない。ひょっとしたら、ヒトはみんなドラえもんの記憶を生前にインストールされた状態で生まれてくるのかもしれない。とにかく、僕の知っていたドラえもんと、漫画の1巻のドラえもんは劇的に異なっていた。まるでかわいげのない、青くてまるい何かが、かわいげのないことを言ってダメなADHD少年を困らせる。かわいくないガキ大将の妹と結婚して、会社では働けず起業するも会社が火事で全焼して不幸な一生を送る、みたいな未来を提示されるのだったと思う。クラスのかわいい女の子と結婚して、幸せな人生を送れるようにすることで、孫の孫のセワシ君も幸せになれる。タイムパトロールはどうしてこいつを処罰しないんだ。不思議である。のび太君はちょっと障害があるだけでたぶん実は非常に賢いので、すぐに本質的な質問を返す。僕の結婚する人がかわって、僕の人生ががらっと変わるなら、子孫である君だって生まれないことになるんじゃないのか? これは尤もな疑問なんだが、セワシ君は東京から大阪に行くのにはどの経路を使っていても同じだろう、といった詭弁でこれに答えていた。自分が大阪駅ではなくて、名古屋駅である可能性については考慮していないようだ。羽田から関空まで飛んで、名古屋駅はスルーされて、セワシ君は生まれてこないかもしれないのに。とにかくセワシ君は自分という着地点を物語で提示してる。彼はなぜか知らないが絶対的に大阪駅的存在なんだろう。

インフルエンザ診療で治療しないというあらかじめ決まったゴールに向かうように、検査するかどうか決めるというのは検査自体の意義からは離れているし、医学的にはたぶん本当は微妙なんだけれど、外来待ち時間まで含めた患者満足度を最終的なゴールにするならおそらく間違っていないのではないか。インフルエンザ診療も大阪駅に向かう。

診療所には基本的にはぐったりして死にそうな人は来ないから、長期予後を改善する役目が非常に大きいのだなという、ひょっとしたら当たり前のことを非常に強く感じた。病院はコントロールがよくなくて、何かまずいイベントが発生した人が来る場所である。あるいは人生を生き切った人々、病院の天井を焦点の合わない目でじっと見つめながらたまに諒解不能の声を発する限界の老人たちが来る場所であり、今更長期予後がどうなったところで誰かの幸せにつながるとは到底思えない人々も病院には多かった(すごく気が滅入る)。診療所は今を生きるちょっとダメな人か、ダメじゃない人がやってくる。本当にダメな人は検診を受けないか、検診結果をみても診療所に足を運ぶことすらしないだろう(そして本当にアプローチするべきはそういう人種なんだと思う、それがたとえパチンコ店にエッチなナースコスプレのおねえさんを配備して検診の重要性をプロモーションするとかいう手段であったとしても、医学的には大切なことだと思う、代替手段があればこんな炎上しそうな手段を用いる必要性は勿論ない)。そういう意味で禁酒や禁煙、減塩、ロコモ体操の指導なんてのは非常に大切だなと思うんだけれど、なかなか難しい。長生きするために生きてるわけじゃないし、僕だって酒が飲めない、ローストビーフや餃子をおなか一杯たべられず、すてきなおねえさんといいことやいけないことができない生ならそこまで執着しようとも思わない。

なかなか今の自分以外の視点を持つというのは難しいことで、酒を飲まない自分にはきっと今の僕にはわからない幸せがあるはずだ。夜中に思い立って突然好きな音楽を流しながら、ドライブに行くことができるし、突然レイトショーを観たくなっても安心だ。きれいなおねえさんとまったく出会えない人生でもコストコで巨大なテディベアを買って毎晩抱いていたらすごい幸せな気持ちになれるかもしれない。いや、それはないか。酒やしょっぱい食事はいまの自分自身にとっては幸せを感じる手段になっているかもしれないけれど、それをやめた自分にはきっと別の形の幸せがあるはずだと信じたい。そういう信仰を持たないと医学的に正しいことをお勧めしていくのはむずかしい。だって、今の僕はそれで満足なんだから、に対しての答えはおそらくここにある。

話が色々とそれてしまったけれど、つまり目に見える最終的なアウトカムなんてものは、多くの場合存在しないんじゃないかと感じている。僕らは常に「いま・ここ」に縛り付けられているし、地平線の向こう側については想像することは自由だけれど、いつだって見えない。そして、最終的にどうするの、といったその最終的なところは大抵ずっと先の地平線の向こう側に存在している。セワシ君が自分が大阪駅的な存在だと胸を張って言えるのは、読者にはわからない彼にしか見えない景色があるからに違いない。

実は、今日の昼休み、診療所の屋根のツララがとけて落ちるのを見た僕は楽しくなって、窓から手を伸ばしてヒモのついた財布で残りのツララをたたいて折って遊んでいた。誰かに見られたら頭悪そうだし恥ずかしい。他人の視点を持てないから、それなりに楽しく生きられているんだろうなとも思う。

 

娘を助けてママみを求むるノワール

「私が欲しいのは愛か死よ!」

ショートボブの小枝みたいな体をした大人びた容姿の破滅的な少女(マチルダナタリー・ポートマン)が武者小路実篤の小説でも読んだのかそんなことを叫ぶシーンがある。映画『レオン』のワンシーンです。当時この映画の影響でこの女の子の髪型が流行ったという話も聞く。根無し草の無口な殺し屋のおっさんがいつも植木鉢の植物を持ち歩いていて(※1)、家族を失った少女(※2)と行動を共にするストーリーであり、何というか、こう、非常に良いんですね。ところでこれのエンディングの曲(shape of my heart)は最近何か別の映画で使われていたような気もしたのだが思い出せない。何だったかな。

少女あるいは少女らしさを残した若い女性と影のある強い中年男性のからみを主題とした映画というのは、思いつくだけでも結構たくさんある。『96時間』では元CIA工作員の実父が娘(離婚して疎遠)を救うためにパリの街でマフィアを殺す。『イコライザー』では同じく元CIA工作員のおっさんがダイナーで毎晩同じ時間に現れる女の子と心を通わせ、彼女を守るためにマフィアを殺す(※3)。韓国ノワール映画の傑作『アジョシ』では近所の報われない子供と仲良くなった元特殊部隊のおっさんが少女を救うためにマフィアと戦う。『96時間』に関しては『レオン』の監督であるリュック・ベッソンが一枚かんでいるので、近い系統なのは当然なのかもしれない。とにかくこのタイプの映画をたまに見かけるのだけれど(そして結構好きなのだけれど)、これら一連のグループの呼び名を知らない。

一定数似たような筋書きの映画が存在するということは、社会的なニーズがそこに存在することを意味する。これらの映画群のターゲットが誰なのか知らないけれど、オッサンがターゲットなのだとしたら、オッサンたちは「影があって、何らかの特殊能力があり、それによって若い女性の力になる人になる」ことが快感なのだ、とストレートに解釈したくなってしまう。

中学校の頃に、教室に入ってきたテロリストを特殊能力をもったわたしが倒すことでヒーローに、といった妄想をするのはお決まりのパターンのようである。それは僕らが中学生の頃にアルカイダがどうとかいう話が真っ盛りだったのもあるかもしれない。けれども、おっさんになっても、本質的には何も僕ら(のなかの一部の人々)は成長していなくて、いつも若くてか弱い女性を特殊能力で守って愛されたいと願っている、そんなふうに感じてしまう。

作家が同じような部位ばかりつつきまわしたくなるように、受け取り手も同じようなところばかりつつきまわされたくなるのかもしれない。たまに自分の娯楽の嗜好について考えると、自分が自分自身でも意識しない状態で何を求めているのかについて考えさせられることになる。

 

※1 持ち歩いている植木鉢は根無し草である自分自身の境遇である。そういえば僕の好きな『ホットファズ』でも主人公が植木鉢を大切そうに抱えている。『ホットファズ』は優秀すぎる警察官が優秀すぎて疎まれて平和な田舎町に左遷させられる話である。何か関係があるのか、あるいは植木鉢に入った観葉植物が常に何かを明示する小道具として現代の映画で使われているのかもしれないが、この辺りの文法を僕は知らない。

※2『レオン』に出てくるヒロインの少女マチルダたまに本質的なことを話す。植木鉢に入った植物も、地面に植えればそこに根をはるよ、なんてことを言う。一時、twitterで真理を話すマックの女子高生が話題になった。もちろん創作だろうけれど、創作において男子高校生でもなく、認知症老人でもなく、女子高生が真理を語ることに僕は意味があると思う。『レオン』みて喜んでいる層と真理を語る女子高生が好きな層がどれほどかぶっているのかは知らないけれど、ひょっとしたらコインの裏表みたいなものなんじゃないかなと感じている。なかなかうまく説明できないんだけれど、自分がか弱い女の子に何かしてあげたい一方で、その女の子に本質的なことを言われて心の堅いところを打ち砕いてほしいと思うのは、少なくとも矛盾はしない。保護を与えることが好きなおっさんは、相手が与えているものに無自覚なまま何かを与えてもらいたいのではないかな。パパになりたい一方で、ママみを求めているというとしっくりくるかな。

※3イコライザー』に出てくるダイナーを観て、真っ先に思い浮かんだのはエドワード・ホッパーの「ナイトホークス」である。安っぽいレストランで静かな夜に無関係な人々が飯を食べているだけの絵であるのだが、強烈な物語性を感じてしまう。これはこの絵自体の話ではなくて、この雰囲気から派生した一連の映画群によって僕が育ったからなのかもしれない。wikipediaを流し読みしてみると、リドリー・スコットが『ブレードランナー』を撮影するときにこんな感じの雰囲気で、と指定したり、そもそもエドワード・ホッパー自体がシネフィルだったり、フィルムノワールの先駆けになっているなんて記載もあった