ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

レジナビの話

一週間ぶりに東京駅の新幹線のプラットフォームに降り立った。奥に見える丸の内のオフィスビルは高く澄んだ関東の暮れゆく冬空を背景に異様に清潔そうで、あこがれつつも田舎育ちの僕にはどこかよそよそしく何となくなじめない。一方、新幹線乗り場というのは、在来線乗り場よりも帰省客やら遠距離恋愛カップルなどが多い所為か、どこかさみしい場所に思えて、さらに黄昏時ということもあり、妙にしみじみとした気持ちになってくる。びるたかーいと旅行気分であんぐり口をあけながら、空をみつつ子供たちの嬌声を背後に居酒屋へと向かった。宿泊するのは毎回神田駅近くのホテルである。居酒屋が多く、出張のメインイベントたる食事会の場所に困らず東京駅にも近くホテルも比較的安いというのがおそらく理由だ。いつも通りにそれなりにのんで、三次会のラーメン屋で鼻が馬鹿になっているものだから狂ったようにニンニクをいれて、朝自分の口臭に驚いて起床するまでがいつもの流れである。

最近は隙間時間に飲酒してしまうせいか、めっきり読書をする時間が減ったように思う。何だかんだ、移動時間に読むだろうと今回もリュックサックに文庫本を忍ばせておいたのにもかかわらず、読むことなく終わってしまった。以前読んでクソ面白くなかった本が面白く感じられるみたいなところに、成長か経年による歪みかを感じることは、読書におけるサブの楽しみ方の一つで、内容が変わっているはずがないから、きっと変わったのは僕に違いないし、何だか不思議な気持ちになる。

小学校4年生くらいのころに、突然自分は人間的に完成したと思いなしたことがある。理由は思い出せないが、それまでは大人的大人というものの精神性を思い描くことができないという形で思い描くことができたのにもかかわらず、その程度の年齢から理解や解釈の可能な対象としてみるようになったからかもしれないし、母に学がないせいか少しずつ話が通じなくなってきたことも原因かもしれない。

とにかくそんな妄想をしていた時期もあったのだけれど、その手の妄想は所詮妄想に過ぎなかったなと思う程度の年齢に僕もなってきた。

学生の頃、実習がとにかく嫌いだった。私はきわめて意識の低い学生であったし、論理的一貫性を重んじるタイプの人間でもあったので、地方の駅弁Fラン大学に入って何となく将来がふさがれたように思われる中、給与に関係しない努力をしてみようとは微塵も考えなかったのである。それでも指導熱心な先生のもとにいるときには血迷ったのか、医学の面白さみたいなものを錯覚しそうになったこともあったが、錯覚もまた錯覚に過ぎない。条件が少し変わるとそんなものはすぐにまた見えなくなってしまう。多くは指導になど全く興味がなく、初めて書かされる症例報告風のレポートに対して、%の前に半角あけるのはダメだと今までどこでも習わなかったのか、現病歴の主語は患者だし、入院後経過の主語は医師なんだけれどどうしてそんなことも知らないのかななどとグチグチ文句を言われたり、内視鏡室の時間かもしれないがあまり近寄らないでくれと言われたきり数時間何も指導されず立ちっぱなしでいたり、昼休みに「私おひる行きます」五時に「私帰ります」しか話さない精神科的疾患のありそうな指導医、看護師には邪魔だからどけと言われ、どいて早く家で僕だって寝ていたいのに家に帰ると単位がもらえない、意味不明のカンファレンスに朝早くから出席させられ、まったく術野の見えない手術にじゃんけんで負けると入らされ、何一つえるものもなく、何一つ勉強したとしても僕の人生を豊かにしない無駄を結晶化させたような時間で思い出すだけで吐き気を催す。

ええと、何の話だったかな。

そう、そんな僕でも気が付いたら研修医になって、気が付いたら学生に指導する側になっていた。ポリクリ生は外病院実習として4週間、そして頻繁にやってくる。自分がやられて嫌だった生産性のない時間的拘束とお昼ごはん・帰宅のタイミングは空気を読むほかない、ということがないように心を割いている。あそこに見えているのは、かつての自分かもしれない。しかし、僕のいる病院は来た学生に血培とってもらったり、A採血してもらったりすることで有名のようで(僕は県外大学出身なので何も知らなかった)意識の高い層が多いようだ。生温かい目で見守りながら、少なくとも本人の希望と生産性だけは考慮してあげられるように努力している。

レジナビでは病院の紹介をしなくてはならない。しかし、来るのは臨床実習すら始まっていない学生だったりで、共通の言語がない。「CVCを年に何回いれるといったことがどの程度意味のある指標なのかというと微妙かもしれない、実際のところ適応を適切に判断することも大切だよね」「市中病院か大学病院かという枠組みだけで考えるのもイマイチじゃないかな、多くの大学病院ではたすき掛けを採用しているだろうし、逆に市中病院でもたすき掛けをしているところもあるわけで、そうなるとどこに籍をおくかということよりも実際に行きたい複数の場所へのたすき掛けを使用しやすいのかどうか、といったことの方が大切だよね」とか「ECMOとか回せる大きな病院は確かに魅力的かもしれないけれど、別に集中治療医になるわけでなければ今後どれほどいじる機会があるのかも微妙だし、何になるために何を学びたいか、みたいな話が結局のところ大切なんじゃないの」「三次救急は見ておいてよいかもしれないけれど、救急医にならない人間にとって必要なことは三年目以降の当直で苦労しないために軽症から中等症に見える人々からいかに緊急性が高く重症度が高いものお拾い上げて初期診療を行うかという修練をつむことなんじゃないかな」といった話はあまり通じない。おそらく、僕が言われてもわからなかったと思う。親切にそんなことを話してくれる人間は僕の周りにはいなかった。教育的である方が良いとか、人間関係がうまくいっている方が良とか、そういうレベルではなく、学習スタイルも目指すべきものも違う中で誰にでも良い病院なんてものは存在しないのにもかかわらず、学習スタイルも目指すべきものもわからない人々に自分の病院があなたにとって最適ですよと売り込むことは無理だ。何か魚を食べてみたくて、それは鯖なんだけれど、鯖だと本人はわかっておらず、けれども魚市場に来て、おいしい魚はどれですか、でも自分あの魚、いや、わからないけれど、あれじゃないとだめなんですよね、いやだめなのかどうかすらわからなくて、うーん、魚?? と頭を抱える人間に正解を教えることは原理的に不可能なんだ。だから、結局だれにでも当てはまるような、雰囲気の良さとかを売りにして、一回来てくれれば合うかどうかわかるよなんて適当なセリフしか吐くことができなくなってしまう。けれど、お互いの構造を考えればそれは仕方のないことなんだ。

ご当地キャラクターの着ぐるみをきて、シャドーボクシングなどをして遊んでいたら、それでも数人がブースに来てくれた。たまに若い人々と話すと、自分が昔とは違う場所に立っていることに気が付く。毎年毎年新しい若人が大挙するレジナビのようなイベントは一種の読書性とでもいえるような、変わらない精神性の指標になる。いつしかその指標が地平線の向こう側へ落ち込んでしまった時、僕は大学病院で僕を指導してくれたイケてない指導医になっているのかもしれない。

そんなことを思いながら、帰りの新幹線にのった。日曜日夕方の東京駅の新幹線のプラットフォームはごった返していて、誰もが旅か出張かで疲れた顔をしながら列に並んでいる。新幹線の中で指導医氏と二年間の振り返りタイムがあった。僕は成長できたんでしょうかねえと、まあよくわからないけれど、研修はとても良かったですとお話しした。