ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

攻撃性と可哀想さの話

 新入生が出し物をやっていた。例年は新任医師歓迎会というところでやるのだが今年は自粛もあり自己紹介というテイでふわっとやっただけなのだがなかなか面白かった。高校時代の部活の後輩が研修医として入ってきたのだが、体がとにかく大きくてLLサイズの病院のスクラブを着れないという話をやっていた。大きくて強いのも大変なんだね、かわいそうに。床引きデッドリフトは200kgを超えていて、ベンチのマックスは140キロと言っていた。強い。

 現金給付がもたついていることで不満と怨嗟の声がそこここから湧き出している。フリーランスやキャバ嬢への給付に納得いかない人と給付しないことに憤りを感じる人がいてああだこうだと舌戦している。

 かつてZOZOの前澤社長が100人に100万円を配るキャンペーンをやった時に却って公共の福祉の意義が明らかになったことがあった。つまり、我々は感情のままに行動した場合に同情できない境遇の醜い弱者を手助けしようとはしないということが、意識されたのである。一部の社会学とその周辺のツイッタラーがかわいそうランキングなどと名付けているものだ。可哀想だなと思えるものはみんな助ける。野生動物も同様のようでそんな話が論文になっていた。アブストしか読んでない。(https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/14888386.2011.642663

 病院総合診療医をやっていた時もその後に消化器内科にいた時も腎臓内科にいる今も基本的にはかわいそうランキングの低い人々をみている。自己責任と言いたくなる人は多い。特に入院患者はそうだ。病気より寿命と思える限界のほとんど寝たきりの高齢者はまあ良い、医療の領域でないものを医療の領域で扱っているのは全く本人の責任ではない。良く生きましたと看取るのも現行制度では医療の仕事になっている。若くて入院して自己責任だなと思わないものは本当に少ない、先天性疾患、膠原病、悪性腫瘍、感染症(高齢者の繰り返す誤嚥性肺炎は感染症というより寿命である。死因に肺炎と書くことに抵抗がある。あれは老衰である。)くらいだろうか。多くはアドヒアランスの悪いアル中の肝硬変とかDMの末期腎不全とか禁煙できないCOPDとかが占めており、非常に可哀想ランキングが低い。普通に生活している人はなかなか健康を壊さないものである。

 自己責任論に関して、教義には喫煙も飲酒も自己責任だけど、社会的に困窮しているからDMのコントロールが悪いとか何かしら尤もらしい理由をつけることがある。とくに家庭医と呼ばれる人々はそういったことを好む。勿論その手のアプローチが奏効することもあるかもしれない。親の介護が忙しくてパートもしていて病院どころではない人は食事を規則正しくとか言われてもキレそうになるだろう。親の介護申請してますかとか、利用可能な公共のサービスを案内した方がひょっとしたらアドヒアランスが向上する可能性がある。それは分かる。ただこれも結局広義の自己責任論に他ならない。そういった理由が特に何もなく純粋にパーソナリティやインテリジェンスに問題があってどうやっても所謂ダメな人というのがいる。かといって病気として精神科に通わせるような類のものでもない。(病気として治療されてこなかったでも病気のような、みたいな人についてのこの精神科の先生の記事が面白かったhttps://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20171012/1507784437

 広義の自己責任論は問題解決の手段として利用することは意義深いが、真にダメな人については救えない。まあ「私個人としては」救われなくていいんだけど。

 公共の福祉は特に個人が救いたいと思えない人間のためのセーフティーネットとして有用だと思っていたので、今回の現金給付の話で水商売とかフリーランスが最初対象外で、その後になって個々人の声から変わったことを奇妙に感じた。

 今日偶然にキュートアグレッションという単語を知った。かわいいものをみるとギューと壊したくなってしまうような感情のことらしい。花を見ると踏みつぶしてめちゃくちゃにしたくなるという小説があったなと思ってタイトルを思い出せずうんうん唸っていたがさっき見つけた。「秋風記」というやつだ。(https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2267_19992.html)知らない単語で知っている感情に名前がつくと不思議な感覚になる。シャーデンフロイデ(自分が直接手を下すことなく嫌いな人が不幸になった時に感じる薄暗い喜び)とか。

 相手が可愛くても可愛くなくても我々は攻撃的になってしまう。先日、研修医室を掃除した時に出てきた鞭が僕の机に置かれていた。3年前に新任医師歓迎会の出し物をした時に使われたものだ。わたしは珍妙な衣装をきて尻を鞭で叩かれる役をえらい先生の前でしたのであった。何というか、こう、攻撃性に晒されがちである。