ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

レジナビの話

一週間ぶりに東京駅の新幹線のプラットフォームに降り立った。奥に見える丸の内のオフィスビルは高く澄んだ関東の暮れゆく冬空を背景に異様に清潔そうで、あこがれつつも田舎育ちの僕にはどこかよそよそしく何となくなじめない。一方、新幹線乗り場というのは、在来線乗り場よりも帰省客やら遠距離恋愛カップルなどが多い所為か、どこかさみしい場所に思えて、さらに黄昏時ということもあり、妙にしみじみとした気持ちになってくる。びるたかーいと旅行気分であんぐり口をあけながら、空をみつつ子供たちの嬌声を背後に居酒屋へと向かった。宿泊するのは毎回神田駅近くのホテルである。居酒屋が多く、出張のメインイベントたる食事会の場所に困らず東京駅にも近くホテルも比較的安いというのがおそらく理由だ。いつも通りにそれなりにのんで、三次会のラーメン屋で鼻が馬鹿になっているものだから狂ったようにニンニクをいれて、朝自分の口臭に驚いて起床するまでがいつもの流れである。

最近は隙間時間に飲酒してしまうせいか、めっきり読書をする時間が減ったように思う。何だかんだ、移動時間に読むだろうと今回もリュックサックに文庫本を忍ばせておいたのにもかかわらず、読むことなく終わってしまった。以前読んでクソ面白くなかった本が面白く感じられるみたいなところに、成長か経年による歪みかを感じることは、読書におけるサブの楽しみ方の一つで、内容が変わっているはずがないから、きっと変わったのは僕に違いないし、何だか不思議な気持ちになる。

小学校4年生くらいのころに、突然自分は人間的に完成したと思いなしたことがある。理由は思い出せないが、それまでは大人的大人というものの精神性を思い描くことができないという形で思い描くことができたのにもかかわらず、その程度の年齢から理解や解釈の可能な対象としてみるようになったからかもしれないし、母に学がないせいか少しずつ話が通じなくなってきたことも原因かもしれない。

とにかくそんな妄想をしていた時期もあったのだけれど、その手の妄想は所詮妄想に過ぎなかったなと思う程度の年齢に僕もなってきた。

学生の頃、実習がとにかく嫌いだった。私はきわめて意識の低い学生であったし、論理的一貫性を重んじるタイプの人間でもあったので、地方の駅弁Fラン大学に入って何となく将来がふさがれたように思われる中、給与に関係しない努力をしてみようとは微塵も考えなかったのである。それでも指導熱心な先生のもとにいるときには血迷ったのか、医学の面白さみたいなものを錯覚しそうになったこともあったが、錯覚もまた錯覚に過ぎない。条件が少し変わるとそんなものはすぐにまた見えなくなってしまう。多くは指導になど全く興味がなく、初めて書かされる症例報告風のレポートに対して、%の前に半角あけるのはダメだと今までどこでも習わなかったのか、現病歴の主語は患者だし、入院後経過の主語は医師なんだけれどどうしてそんなことも知らないのかななどとグチグチ文句を言われたり、内視鏡室の時間かもしれないがあまり近寄らないでくれと言われたきり数時間何も指導されず立ちっぱなしでいたり、昼休みに「私おひる行きます」五時に「私帰ります」しか話さない精神科的疾患のありそうな指導医、看護師には邪魔だからどけと言われ、どいて早く家で僕だって寝ていたいのに家に帰ると単位がもらえない、意味不明のカンファレンスに朝早くから出席させられ、まったく術野の見えない手術にじゃんけんで負けると入らされ、何一つえるものもなく、何一つ勉強したとしても僕の人生を豊かにしない無駄を結晶化させたような時間で思い出すだけで吐き気を催す。

ええと、何の話だったかな。

そう、そんな僕でも気が付いたら研修医になって、気が付いたら学生に指導する側になっていた。ポリクリ生は外病院実習として4週間、そして頻繁にやってくる。自分がやられて嫌だった生産性のない時間的拘束とお昼ごはん・帰宅のタイミングは空気を読むほかない、ということがないように心を割いている。あそこに見えているのは、かつての自分かもしれない。しかし、僕のいる病院は来た学生に血培とってもらったり、A採血してもらったりすることで有名のようで(僕は県外大学出身なので何も知らなかった)意識の高い層が多いようだ。生温かい目で見守りながら、少なくとも本人の希望と生産性だけは考慮してあげられるように努力している。

レジナビでは病院の紹介をしなくてはならない。しかし、来るのは臨床実習すら始まっていない学生だったりで、共通の言語がない。「CVCを年に何回いれるといったことがどの程度意味のある指標なのかというと微妙かもしれない、実際のところ適応を適切に判断することも大切だよね」「市中病院か大学病院かという枠組みだけで考えるのもイマイチじゃないかな、多くの大学病院ではたすき掛けを採用しているだろうし、逆に市中病院でもたすき掛けをしているところもあるわけで、そうなるとどこに籍をおくかということよりも実際に行きたい複数の場所へのたすき掛けを使用しやすいのかどうか、といったことの方が大切だよね」とか「ECMOとか回せる大きな病院は確かに魅力的かもしれないけれど、別に集中治療医になるわけでなければ今後どれほどいじる機会があるのかも微妙だし、何になるために何を学びたいか、みたいな話が結局のところ大切なんじゃないの」「三次救急は見ておいてよいかもしれないけれど、救急医にならない人間にとって必要なことは三年目以降の当直で苦労しないために軽症から中等症に見える人々からいかに緊急性が高く重症度が高いものお拾い上げて初期診療を行うかという修練をつむことなんじゃないかな」といった話はあまり通じない。おそらく、僕が言われてもわからなかったと思う。親切にそんなことを話してくれる人間は僕の周りにはいなかった。教育的である方が良いとか、人間関係がうまくいっている方が良とか、そういうレベルではなく、学習スタイルも目指すべきものも違う中で誰にでも良い病院なんてものは存在しないのにもかかわらず、学習スタイルも目指すべきものもわからない人々に自分の病院があなたにとって最適ですよと売り込むことは無理だ。何か魚を食べてみたくて、それは鯖なんだけれど、鯖だと本人はわかっておらず、けれども魚市場に来て、おいしい魚はどれですか、でも自分あの魚、いや、わからないけれど、あれじゃないとだめなんですよね、いやだめなのかどうかすらわからなくて、うーん、魚?? と頭を抱える人間に正解を教えることは原理的に不可能なんだ。だから、結局だれにでも当てはまるような、雰囲気の良さとかを売りにして、一回来てくれれば合うかどうかわかるよなんて適当なセリフしか吐くことができなくなってしまう。けれど、お互いの構造を考えればそれは仕方のないことなんだ。

ご当地キャラクターの着ぐるみをきて、シャドーボクシングなどをして遊んでいたら、それでも数人がブースに来てくれた。たまに若い人々と話すと、自分が昔とは違う場所に立っていることに気が付く。毎年毎年新しい若人が大挙するレジナビのようなイベントは一種の読書性とでもいえるような、変わらない精神性の指標になる。いつしかその指標が地平線の向こう側へ落ち込んでしまった時、僕は大学病院で僕を指導してくれたイケてない指導医になっているのかもしれない。

そんなことを思いながら、帰りの新幹線にのった。日曜日夕方の東京駅の新幹線のプラットフォームはごった返していて、誰もが旅か出張かで疲れた顔をしながら列に並んでいる。新幹線の中で指導医氏と二年間の振り返りタイムがあった。僕は成長できたんでしょうかねえと、まあよくわからないけれど、研修はとても良かったですとお話しした。

ゲロの中身と私がここにいる理由

自分の文章というのはあまり読み返したくなるものではなくて、むしろ書いた瞬間に破いて捨ててしまいたくなる。多くの場合において、書かれた文章や話された言葉たちは、メンタルのゲロみたいな存在であるから、犬のウンコを木でつつく小学生みたいな気分で人様の文章を読むことは楽しくても自分の文章を読むのは多少なりとも苦痛を伴う。つついて「あっ、昨日食べたモヤシあったね」とか発見しても楽しいものではまったくない。しかしなんとなく今日読み返すことにした。

最近、何者にもなれない人や何者かになりたい人に関しての文章に良く出会う。たらればさんの高円寺で~の記事(あの高円寺のユニットバスで、何もかもを欲しがっていた - MOOOM(モーム))(精神的な血族というふわっとしたワードがこれほど僕にとってsolidに感じられたことは今までなかったし、おそらく僕の記事をよんで苦笑している人には少しニヒルに笑いながらも心臓の裏側あたりの毛羽立ちと感じる内容だと思う、僕はこういう言葉を吐く人間にこの先なれるのだろうか)だったり、戸田真琴さんのアメリカ横断する無謀な中学生を生温かい目でみたりする記事だ。ツイッターでこれらの記事が回ってくる。

そういえば僕がここに初めて載せた文章も何者にもなれない話についてだった。何者にもなれない(今だけでなく、おそらくこの先もずっとなれない)自分に何となく劣等感を覚えてみたり、こんなはずではなかったなと思いつつ、けれども何者かになっているなと僕の考える人々のあまりに私生活を打ち捨て修行僧のように日々を生きて自己肯定感を高める状況を考えるに、僕の居場所はそこではないなと感じている。ツイッターの特性上、自分の好きな分野の人や情報だけに接することが可能である。おそらく、僕は何者にもなれないことに関する潜在的なコンプレックスを持つ人々の、その手の歪んだ自意識についてまったく述べていないにもかかわらず発してしまう波長に勝手に感応しているんだろう。

先日、沖縄に行ってきた。2/15-16で日本病院総合診療医学会学術総会があった。小さな集団が対象(※1)なのに年に2回もあるので参加者は少ないのが常なのだが、沖縄でやるということもあり、学会には少なからずフェス的要素があるために今回は参加者が多かった。初日はついたのが余りにも遅かったので、感染症コンサルタントの青木眞先生のありがたいお話を少しきいただけで終わった。質疑応答の時間で、どうしたら総合診療医が流行るかな、といったことを訊いた中堅ドクターがいた。青木先生は、総合診療医はスーパーマンが目立ちすぎて、ドクターGみたいなイメージが強くてあまりの意識の高さにヒいてしまう。もう少し門戸を広く、ハードルを低く、親しみやすい存在にしてみたら、本来なら2、3割はいて良い科なんだからさ、と話された。そうだよね、僕も総合診療医になりたいです、と話す人の瞳の輝きが苦手である。違う世界の住人だなと感じてしまう。(僕は意識の高い人の分類を二つの軸でしている。一つは真の立派性、つまり真に高いインテリジェンスを十分に発揮して、何らかの仕事をしているかの軸である。もう一つは、自分自信の意識の高い性をどれだけ愛しているかの軸である。多くの人は後者の軸が猛烈にプラスに傾いているから所謂立派性を獲得している。けれども前者の真の立派性の軸が伴うかどうかは別問題だし、そこが伴わない人間を僕は心底馬鹿にしている。それは僕に真なる立派性がないために、意識高い性を持つ自分を愛したいのに愛せないという現状があるからかな、本当は僕みたいに底辺している人間だって、立派になって、立派な自分自身をお前はこんなに立派なんだから、もっと幸せになれると、と言ってあげたいんだ。けれどもそれができない程度の中途半端な知性をかろうじて獲得しているからつらいの)そんなモヤモヤをかかえながらも、しかし、僕は総合診療科専攻医になる。世の中何が起こるか分からない。

学会のなか日の夜、指導医と後輩研修医と一緒にフリーランスで人生を楽しむ女医さんとその夫のフリーランス呼吸器外科医、さらに医療系ベンチャーで働くバリキャリ女性(後で調べたら僕も利用しているアプリを作っている会社のCOOだった)という奇妙なメンツで飲む機会があった。フリーランス女医は英語が勉強したくてdmm英会話で英語勉強したり突然インターンとして沖縄の海軍病院に1年行ってみたり日野原賞取ったりする猛者である。バリキャリ女史はリクルート等で働いていたゴリゴリのキャリアウーマンでとにかく強そうである。

強い人たちは医療の未来を語る。曰く(以下は完全に僕の意訳です)、医療における臨床推論やガイドラインにそった最適な医学的治療の選択といったものは、AIの得意分野である。しかし実際所謂ガイドラインに沿った最適な治療が最善手なのかというと微妙である。患者と我々は病気の層で接することでその層での問題を解決しようとするが、病気の層は生えている木で、根っこや土についての介入の話になるとそれは俺の仕事じゃないと言う人が多い。俺の仕事じゃない、本当によく聞くセリフだ、ばかたれ。けれども仕事忙しい、認知症の親の介護もしている中年シングルマザーが雑な飯を食べている時、糖尿病のコントロールが悪いからといって食生活ちゃんとしてねと外来で二言三言話して、慢性疾患管理加算にチェックをいれても何も解決しない、そういう視点も欲しいじゃないか、ねえ、と。

バリキャリ女史曰く、医療者の多くは一応は接客業の側面を持つにも関わらず横柄な態度を取る人も少なからずいる。サラリマンは仕事をもらうが、医療者はむこうが見て欲しくてやってくるから、まあ違うんだけど。その顧客だけど純粋な意味で顧客ではない、といった医療者患者関係の改善に貢献できるタイプの何か仕組みなどあればいいな、と。

真面目な話なものだから、僕は話すこともなく隅でみんな意識が高くて(そしてあなたがたは僕の作った軸のどこに位置する人々なんだろうと考えながらも)すごいなあと思って小さくなりながら石垣島ラム酒の注がれたグラスを延々と傾けていた。意識の高い人々の集まりだったので、ヴィーガン専門店の飲み屋だった。ラフテーはいつまでたっても供されない。当然蒸留酒ばかり飲むことになり、そのうち酔いが回ってくる。だんだんと突っ込みをいれたくなり、とうとう話にチャチャをいれてしまった。

(勿論もっと柔らかい言い方をしたんだけれど)お話中失礼いたします、僕思うんですけれど、患者さんと良好な関係を築くことは患者満足度には繋がるけれども僕の満足につながりますか? 意識の高い人というのはえてして自己肯定感や承認欲求のために患者満足度をオカズに自慰行為に耽りがちですが、そうでない医療者(※2)が患者さんのためにと善意で頑張ることに何のメリットがあるんでしょうか。訴訟のリスクが減るとか、そういう実利的メリットはあるかもしれませんけれど、そうでないなら別に頑張っても給料も変わらないし、僕自身の幸せが増えるわけでもないのにどうして患者関係を改善しようとするんですか。先ほど話されていた顧客云々の話、それなんですが、僕らはその満足度を追求しなくても家族で年に一度バリ島で遊べるくらいには稼げるんですよ。そこを頑張らないといけないという動機付けがいつも置き去りになっていませんか。医療系ベンチャー等で意識の高い層と触れていると気が付かないかもしれませんが、患者満足度と自分の幸福の二つの軸の角度の大きさは人によって異なるんですよ。

みんな立派だったから意識の低い僕をバカにしないで、よしよし君はそう思うんだね、無駄や非効率性や慣習の慣習性を忌避して自己の幸福という到達点に向けて常にシステムの最適化を求める思路は(おそらく嫌味ではなく)大切な視点ですよねと言われた。偉い人が偉いのはやっぱり偉いからなんだなと。みんな大人だ。周囲の優しさに生かされている。話し終えてから僕は医師としての適性がなさすぎてそのうちわたし自身の存在すら消えて無くなるのではないかとおびえていた。というのも、今更わたし自身からこの職業を取ってしまったなら、残るのは硬くなった肝臓とひねくれた厭世的で根拠のない自信と自信のなさの崩れそうなバランスの上にやっとこさ乗っている不健全なメンタルだけではないのか。

どうして僕は純粋な善意や勉強の意欲といったものに対して不自然なまでに懐疑的なんだろうか。そこの病理がサッパリ分からない。最近そのことばかり考えている。

1年生が病院見学に来ていた。総合診療医に興味があるという。みんな聡明そうである。「先生はどうして病院総合診療医として働くことに決めたんですか?」そのつぶらな目に僕は応えることができない。彼らの瞳には何者にもなれない自分自身への苦悩の濁りがあまり見えず、思い描く素敵な漠然とした未来が目の奥に光っている。

おそらく僕がここにいるのは、何者にもなれない自分自身との決闘を選択してしまったからだ。僕は現状何者にもなれていないし、何者かになれる気もあまりしていない。多くの人は何者にもなれないけれど、何者にもなれないなりの幸福を生きるし、何者かになれた人々の物語がネットの発達によってあまりに僕らにとってリアルに見えるから、自分が大それた物語の主人公になった気がするだけだ。

けれども、モンテクリスト伯フロド・バギンズになれなくても、『武蔵野』とか『小僧の神様』とかの主人公に僕らは十分なることができるし、それだって十分に素敵な「何者か」なんだよね。しかしこんなことを考えていて一体何になるんだろう。何も僕の幸せない貢献しないことを、考え続けずにはいられない。これが病気でないなら一体何だと言うのか……。制吐剤が欲しい。

 

(追記)

今気づいたんですが引用先のブログにも『武蔵野』が出ていたしたね。あれ書いている人本当に他人とは思えない。

 

※1 もともと総合診療医系の学会が複数あったものが一つにまとまったものがプライマリケア連合学会だという。その中で僕らは違うんだと分裂したグループが病院総合診療医学会を作ったとのこと。病院総合診療医の先生方が理事とかそういう役職もあまりなく、居場所のない感じがしたからという話をきいたんだけれど、僕としては家庭医等の先生方に民医連関係者が多く、共産党臭さが強くて、そういうのと関わりたくないからと分裂したんじゃないかなとかってに邪推している。ただ、自治医大系の地域医療振興協会の人々はプライマリケア連合学会に所属しているんだろうか? あそこは政治的な香りがしないので、その系統の人々が理事等に多かったらたぶん僕の勝手な説は外れているんだと思う。調べるのが面倒なので調べていない。

※2 医療者になるような人は大抵その手の人種(つまり患者満足度で自分も気持ちよくなるタイプの人間)だから問題になりにくいという話にもある、DV夫に殴られながらわたしにも悪い所はあるし、何しろこの人はわたしがいないもダメだもの、と話す妻の精神構造に似ていると僕は思う。

セワシ君、イマ・ココ、ツララとインフルエンザなどに関して

診療所は峡谷に面しており、窓の外ごついツララの向こうに見える寒々しい対岸の岸壁はモノクロで水墨画みたいだ。鳥は一羽として鳴かず、ボボボとうなる古いガスストーブは信じがたい短時間で部屋を暖める。部屋の熱にツララが解けて、時折階下のやねにガラガラと落ちる音が心地よい昼休みの転寝を中断させる。

冬の診療所と言えば(なぜか冬の救急外来も)インフルエンザだ。インフルエンザ自体は寝ていれば自然軽快するのに、わざわざ「【主訴】インフルエンザ迅速検査希望」でインフルエンザ様疾患(という言葉があるらしい、昨日コクランレビューを読んでいて初めて知った)の人々が待合室にやってくる。

インフルエンザ診療は少し厄介だ。まず、迅速検査の感度は低いと言われているけれど、調べる文献によってマチマチで困ってしまう。添付文書では9割程度と書かれているものが多いが、今日の臨床サポートを見ると6-7割だと書いてある。一次文献に当たれという指摘は全く以ってその通りなのだが、論文を批判的に読む技術が自分にあるとは到底思えないから、一次文献に書かれた検査の感度等を信頼してよいのかどうかは判断できない。結局、えらい先生(きっと批判的に論文を解釈できるのであろう人)が書いている今日の臨床サポートやDMP、Up to dateの記載に頼ることになる。先日同期氏が話していた『研修医の「Pubmedに書いてありました」ほどアテにならない根拠はないよな』という意見に膝がぶち壊れるほど膝をうち、壊れた人形みたいに猛スピードで首をかくかく振って同意を示したい。まさにその通りだと思う。ということで、感度6-7割程度だと僕は考えている。臨床における検査意義を考える上で非常に微妙な数字で困ってしまう。

一般に、多くの臨床医は検査前の病気である/ない確率を、高い、中等度、低い、まずない、くらいにふわっと分けて考えている(と思う)。そして検査後にその確率が変動する。治療をするかどうかはその人の重症度や緊急度によって変わってくる。心筋梗塞かどうかわからなくても致死的不整脈が止まらなければ心カテをするしかない(他にすごい電解質異常とか明らかな原因がなければ心筋梗塞くらいしか解除可能な原因がないから死なせないためには侵襲が大きくても可能性がそんなに高くなくても心カテするしかない)。夜間の転倒で橈骨遠位端を痛がる高齢者で転位もまったくなくてレントゲン2方向撮影したけれども骨傷がはっきりわからなければ、シーネを巻いてか明日以降再診で整形外科にかかってもらえば良い(別に今すぐにしっかり診断しても予後が変わらなのでCTとったりうなりながらモニターを何十分も眺める意義があまりない)。検査や身体所見の感度や特異度の特性の問題の次に必要なのは、「その疾患である可能性が中等度でも治療する」とか「別に今見逃しても良いので可能性が高くなければ治療しない」とかをあらかじめ決めておくことだ。所見と病歴から検査前の確率をふわっと考えて、感度や特異度や侵襲性や医療コストを考慮した上で検査や治療をするかどうかを決めていく。感度が高くないなら、見逃し例が多くなる。致死率が高い疾患であれば、見逃し例を出してはならないので、感度の低い検査が陰性であっても治療するべきだ。一方で見つけても方針が変わらないのであれば、別に検査自体をしなくても良いだろう。折れてるかどうかはっきりしないような肋骨の骨折を深夜の救急外来で一生懸命に探す必要性はおそらくない。折れても折れてなくても希望があればバストバンドして帰宅である。

外来での(特に診療所における)インフルエンザ診療は、基本的には「生来健康か軽微な併存疾患のみを持つ人のインフルエンザ様の症状を呈する人をどう扱うか」である。WHOのガイドラインでは基本的に肺炎やら脳症をきたしていないリスクの特に高くない人のインフルエンザなら特に治療は必要ないと明記されているくらいだから、基本的には見逃し全然OKの疾患だ。

イキり研修医はよく(まさに今の僕のように)検査の感度や特異度やベイズの定理についてしたり顔で語って、「この人は検査が陰性でもインフルエンザの可能性は十分にあるんだから、最初から検査しないでいいよね」などと言う(イメージがある。勝手なイメージで、残念ながら僕のまわりにはそういうイキり研修医がいない。僕はイキりたいけれど、イキれない。悔しい。だからいつも仮想敵として心にイキり研修医を飼育している)。まあ、もちろんそれはそれで正しいのだけれど、耐性のことを考えるならヤタラに高インフルエンザ薬を処方するのはどうかなとも思っている。見逃しても大丈夫な疾患を正しく診断することの意義、というのが僕にはよくわからない。見逃して、対症療法薬のみだして、あるいは寒気が強くて高血圧などがなければ麻黄湯あたりを出した方が公衆衛生的には良いのではないかな、と思う。以前は僕も、検査の感度について言及して、主訴インフルエンザ迅速検査希望、という検査をするかどうかを決める権利はあなたにはありませんよね、と思うところから始まる一連のもやもやと正対していた。しかし、これは非常に効率が悪いし、僕も車検の時にいちいち車がどういう機序で動いており、どの部分がどうやって壊れたのでどの程度の緊急性でそれを直さなくてはいけないか、なんて話を一度もされたことがない。きっと、どこの分野でも、相手はわかってくれないよな、と思いながらふわっとした説明で、わかった気にさせることが大切なんだろうな、と思う。僕が現時点でたどり着いた答えは「主訴検査希望の健康な人が受診してきたら検査の感度や特異度については全く触れないで、迅速検査を提出して、陰性なら風邪ですかねえ、と話してメジコントランサミン、ペリアクチンを出して帰宅にする」である。

働き始めてから、最終的なアウトカムはどこ?という話を常に考えるようになってしまった。この病気を診断する意義はあるの? といった仕事の次元から、働く目的が稼ぐことであればどうして美容外科医を目指さないんだ? といった仕事自体に関する次元、そして僕は何のためにいまここでこうしているんですか、という中学生くらいで本当だったら向き合うべきだった問題まで。最終的な目的地が見えない多くの問題が日々あられのように僕の体を打つ。

僕がはじめてドラえもんを読んだのは小学校のころだった。ドラえもんとの初めての接触がいつだったかは記憶にもうない。ひょっとしたら、ヒトはみんなドラえもんの記憶を生前にインストールされた状態で生まれてくるのかもしれない。とにかく、僕の知っていたドラえもんと、漫画の1巻のドラえもんは劇的に異なっていた。まるでかわいげのない、青くてまるい何かが、かわいげのないことを言ってダメなADHD少年を困らせる。かわいくないガキ大将の妹と結婚して、会社では働けず起業するも会社が火事で全焼して不幸な一生を送る、みたいな未来を提示されるのだったと思う。クラスのかわいい女の子と結婚して、幸せな人生を送れるようにすることで、孫の孫のセワシ君も幸せになれる。タイムパトロールはどうしてこいつを処罰しないんだ。不思議である。のび太君はちょっと障害があるだけでたぶん実は非常に賢いので、すぐに本質的な質問を返す。僕の結婚する人がかわって、僕の人生ががらっと変わるなら、子孫である君だって生まれないことになるんじゃないのか? これは尤もな疑問なんだが、セワシ君は東京から大阪に行くのにはどの経路を使っていても同じだろう、といった詭弁でこれに答えていた。自分が大阪駅ではなくて、名古屋駅である可能性については考慮していないようだ。羽田から関空まで飛んで、名古屋駅はスルーされて、セワシ君は生まれてこないかもしれないのに。とにかくセワシ君は自分という着地点を物語で提示してる。彼はなぜか知らないが絶対的に大阪駅的存在なんだろう。

インフルエンザ診療で治療しないというあらかじめ決まったゴールに向かうように、検査するかどうか決めるというのは検査自体の意義からは離れているし、医学的にはたぶん本当は微妙なんだけれど、外来待ち時間まで含めた患者満足度を最終的なゴールにするならおそらく間違っていないのではないか。インフルエンザ診療も大阪駅に向かう。

診療所には基本的にはぐったりして死にそうな人は来ないから、長期予後を改善する役目が非常に大きいのだなという、ひょっとしたら当たり前のことを非常に強く感じた。病院はコントロールがよくなくて、何かまずいイベントが発生した人が来る場所である。あるいは人生を生き切った人々、病院の天井を焦点の合わない目でじっと見つめながらたまに諒解不能の声を発する限界の老人たちが来る場所であり、今更長期予後がどうなったところで誰かの幸せにつながるとは到底思えない人々も病院には多かった(すごく気が滅入る)。診療所は今を生きるちょっとダメな人か、ダメじゃない人がやってくる。本当にダメな人は検診を受けないか、検診結果をみても診療所に足を運ぶことすらしないだろう(そして本当にアプローチするべきはそういう人種なんだと思う、それがたとえパチンコ店にエッチなナースコスプレのおねえさんを配備して検診の重要性をプロモーションするとかいう手段であったとしても、医学的には大切なことだと思う、代替手段があればこんな炎上しそうな手段を用いる必要性は勿論ない)。そういう意味で禁酒や禁煙、減塩、ロコモ体操の指導なんてのは非常に大切だなと思うんだけれど、なかなか難しい。長生きするために生きてるわけじゃないし、僕だって酒が飲めない、ローストビーフや餃子をおなか一杯たべられず、すてきなおねえさんといいことやいけないことができない生ならそこまで執着しようとも思わない。

なかなか今の自分以外の視点を持つというのは難しいことで、酒を飲まない自分にはきっと今の僕にはわからない幸せがあるはずだ。夜中に思い立って突然好きな音楽を流しながら、ドライブに行くことができるし、突然レイトショーを観たくなっても安心だ。きれいなおねえさんとまったく出会えない人生でもコストコで巨大なテディベアを買って毎晩抱いていたらすごい幸せな気持ちになれるかもしれない。いや、それはないか。酒やしょっぱい食事はいまの自分自身にとっては幸せを感じる手段になっているかもしれないけれど、それをやめた自分にはきっと別の形の幸せがあるはずだと信じたい。そういう信仰を持たないと医学的に正しいことをお勧めしていくのはむずかしい。だって、今の僕はそれで満足なんだから、に対しての答えはおそらくここにある。

話が色々とそれてしまったけれど、つまり目に見える最終的なアウトカムなんてものは、多くの場合存在しないんじゃないかと感じている。僕らは常に「いま・ここ」に縛り付けられているし、地平線の向こう側については想像することは自由だけれど、いつだって見えない。そして、最終的にどうするの、といったその最終的なところは大抵ずっと先の地平線の向こう側に存在している。セワシ君が自分が大阪駅的な存在だと胸を張って言えるのは、読者にはわからない彼にしか見えない景色があるからに違いない。

実は、今日の昼休み、診療所の屋根のツララがとけて落ちるのを見た僕は楽しくなって、窓から手を伸ばしてヒモのついた財布で残りのツララをたたいて折って遊んでいた。誰かに見られたら頭悪そうだし恥ずかしい。他人の視点を持てないから、それなりに楽しく生きられているんだろうなとも思う。

 

娘を助けてママみを求むるノワール

「私が欲しいのは愛か死よ!」

ショートボブの小枝みたいな体をした大人びた容姿の破滅的な少女(マチルダナタリー・ポートマン)が武者小路実篤の小説でも読んだのかそんなことを叫ぶシーンがある。映画『レオン』のワンシーンです。当時この映画の影響でこの女の子の髪型が流行ったという話も聞く。根無し草の無口な殺し屋のおっさんがいつも植木鉢の植物を持ち歩いていて(※1)、家族を失った少女(※2)と行動を共にするストーリーであり、何というか、こう、非常に良いんですね。ところでこれのエンディングの曲(shape of my heart)は最近何か別の映画で使われていたような気もしたのだが思い出せない。何だったかな。

少女あるいは少女らしさを残した若い女性と影のある強い中年男性のからみを主題とした映画というのは、思いつくだけでも結構たくさんある。『96時間』では元CIA工作員の実父が娘(離婚して疎遠)を救うためにパリの街でマフィアを殺す。『イコライザー』では同じく元CIA工作員のおっさんがダイナーで毎晩同じ時間に現れる女の子と心を通わせ、彼女を守るためにマフィアを殺す(※3)。韓国ノワール映画の傑作『アジョシ』では近所の報われない子供と仲良くなった元特殊部隊のおっさんが少女を救うためにマフィアと戦う。『96時間』に関しては『レオン』の監督であるリュック・ベッソンが一枚かんでいるので、近い系統なのは当然なのかもしれない。とにかくこのタイプの映画をたまに見かけるのだけれど(そして結構好きなのだけれど)、これら一連のグループの呼び名を知らない。

一定数似たような筋書きの映画が存在するということは、社会的なニーズがそこに存在することを意味する。これらの映画群のターゲットが誰なのか知らないけれど、オッサンがターゲットなのだとしたら、オッサンたちは「影があって、何らかの特殊能力があり、それによって若い女性の力になる人になる」ことが快感なのだ、とストレートに解釈したくなってしまう。

中学校の頃に、教室に入ってきたテロリストを特殊能力をもったわたしが倒すことでヒーローに、といった妄想をするのはお決まりのパターンのようである。それは僕らが中学生の頃にアルカイダがどうとかいう話が真っ盛りだったのもあるかもしれない。けれども、おっさんになっても、本質的には何も僕ら(のなかの一部の人々)は成長していなくて、いつも若くてか弱い女性を特殊能力で守って愛されたいと願っている、そんなふうに感じてしまう。

作家が同じような部位ばかりつつきまわしたくなるように、受け取り手も同じようなところばかりつつきまわされたくなるのかもしれない。たまに自分の娯楽の嗜好について考えると、自分が自分自身でも意識しない状態で何を求めているのかについて考えさせられることになる。

 

※1 持ち歩いている植木鉢は根無し草である自分自身の境遇である。そういえば僕の好きな『ホットファズ』でも主人公が植木鉢を大切そうに抱えている。『ホットファズ』は優秀すぎる警察官が優秀すぎて疎まれて平和な田舎町に左遷させられる話である。何か関係があるのか、あるいは植木鉢に入った観葉植物が常に何かを明示する小道具として現代の映画で使われているのかもしれないが、この辺りの文法を僕は知らない。

※2『レオン』に出てくるヒロインの少女マチルダたまに本質的なことを話す。植木鉢に入った植物も、地面に植えればそこに根をはるよ、なんてことを言う。一時、twitterで真理を話すマックの女子高生が話題になった。もちろん創作だろうけれど、創作において男子高校生でもなく、認知症老人でもなく、女子高生が真理を語ることに僕は意味があると思う。『レオン』みて喜んでいる層と真理を語る女子高生が好きな層がどれほどかぶっているのかは知らないけれど、ひょっとしたらコインの裏表みたいなものなんじゃないかなと感じている。なかなかうまく説明できないんだけれど、自分がか弱い女の子に何かしてあげたい一方で、その女の子に本質的なことを言われて心の堅いところを打ち砕いてほしいと思うのは、少なくとも矛盾はしない。保護を与えることが好きなおっさんは、相手が与えているものに無自覚なまま何かを与えてもらいたいのではないかな。パパになりたい一方で、ママみを求めているというとしっくりくるかな。

※3イコライザー』に出てくるダイナーを観て、真っ先に思い浮かんだのはエドワード・ホッパーの「ナイトホークス」である。安っぽいレストランで静かな夜に無関係な人々が飯を食べているだけの絵であるのだが、強烈な物語性を感じてしまう。これはこの絵自体の話ではなくて、この雰囲気から派生した一連の映画群によって僕が育ったからなのかもしれない。wikipediaを流し読みしてみると、リドリー・スコットが『ブレードランナー』を撮影するときにこんな感じの雰囲気で、と指定したり、そもそもエドワード・ホッパー自体がシネフィルだったり、フィルムノワールの先駆けになっているなんて記載もあった

111回医師国家試験の話

受験した直後に書いた文章です。国家試験が近く懐かしいので貼ってみます。

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3日間行われる最後の医師国家試験である111回医師国家試験が2/11から2/13まで行われた。次回以降の国試を受ける人の参考になるかもしれないし、ならないかもしれないけど、卒業旅行が始まるまで暇な時間を持て余しているので国試周辺の話をポロポロ書いていこうと思う。

僕の大学では国試会場近くのホテルに前日入りした。前日の朝イチで大学を出発し、昼頃から行われるラストメッセージあるいはラストV講座を聴くことになる。

ラストメッセージ精神安定剤的な側面が多そうだった。ぼくは普段はメック派なのだが、ラストメッセージの申し込みを忘れてしまったためにラストV講座を受けた。ラストメッセージの講義資料も見せてもらったが、分量的にはそう多くなく、内容的にも最終講義やサマライズと多くは変わらないように思えた。結局、直前に新しい内容なんてなかなか頭に入らないのだから、覚えたことを忘れていないかを確認するのがメインで、少し新しい出そうなところを知らせるくらいがベストなのかもしれない。

ラストV講座はとにかく分量が多い。200ページほどもある資料を前日に復習するのはほとんど不可能であり、たしかにその資料からの出題も多いのだが、何故メックのように資料を早く渡さないのか不思議だ。精神安定よりも出題されそうなテーマを伝えることに重きを置いていることから、講義資料の内容を受講しない学生が知ることを快く思わないからだろうか。内容的には敗血症の新しい定義は当たっていたし、他にも出そうなところはもちろん出た。自分で勉強しないところでここが出ると教えてもらえるのはありがたい。

今年は総じてKSRのサマライズがよく当たった。ウイルス感染で後頸部リンパ節腫脹だとか、心筋炎で腹痛なんてのは自分で勉強していたらなかなか覚えようと思わない知識だと思う。(注:今思うと重要っすよね、これら。伝染性単核球症vs溶連菌感染症は臨床的には大切だもんね。心筋炎も雑に胃腸炎とか言って帰宅にすると死ぬから大切ですよね。ミトコンドリア脳筋症の型とか覚えるよりも普通に臨床医やるうえで重要なことだろうし、そういう方向に国家試験がシフトし始めているのかもしれない)ただ、去年(注:110回の時)はメックがあまり当たらなかったという話も聞いたし、どっちがいいのかは年によるのかもしれない。ターゲットの方が分量が少ないと聞いた。それなりにQBをまわしてあって、もう一周する時間はなかなかないし何していいか分からないような人にとってサマライズで時間を潰すことはよく出るところの手軽な総復習になり泣きながら直前期にQBのエンドレスマラソンするよりも精神衛生面からも良い。前に確実に進んでいる気持ちになってくる講座だった。KSRの臨床小話は意外と記憶に残ってくれる。人は情報の羅列よりもストーリーを記憶しやすいものな、と。病態生理もストーリーですものね。

毎朝国試対策委員が予約してくれたバスに乗っていれば遅刻もなく早めに会場入りすることができた。1日目は終了とともに帰る準備をしていたら、監督官の受験票を持ち帰るようにという指示を聞き漏らし、会場に置き忘れてきてしまった。翌朝、会場にある本部に早めに行ったら免許証を見せるだけですぐに返却してもらった。なくしても再発行をできるらしい。この辺りの対応を見ていると、受からせるための試験なんだなという印象を受ける。高額な公費を投じて医師を養成しているわけで、あまり落としても金の無駄になってしまうのだろうかね。

会場が開いてからテストが始まるまではかなり時間があるため、みんな朝は勉強していた。サマライズやラストV講座などの講義資料、自分でまとめたノートをパラパラ見ている人が多かった。トイレに行く時に一々受験票を持って受験部屋から出なくてはいけなかった。面倒なのもあるが、一度などトイレに受験票を置き忘れてきてヒヤッとした。ADHDあるあるだ。

テストの説明や受験者の顔の確認が長く、それが終わった後に何もしない時間が続く。試験時間プラス30分程度は毎回拘束されることになる。この途中でも挙手してトイレに行っていた人がいたように思う。マークシートの形式はカンニング防止のためか、列によってことなるものが配られた。携帯電話は電源を切って配布された袋に入れて監督官から見えるところに置くように言われた。音がなったら袋を没収されるらしいが、それで落ちるとかは言われなかった。マスクはオッケー。顔確認の時にだけ取ることを要求される。鉛筆削りを使いたいときは監督官に申し出るとオッケー。荷物は椅子の下に置くように言われたが、リュックのサイズが微妙で、椅子の下に入りにくく困った。

111回は割問が多かったように感じるが、見覚えのある問題も多く全体としては難しくなかったのだろう。プール問題を落としてマイナスの差が付くと辛そう。とりあえずQBをやっておくのは大事なんだなの印象。割問の中にはKSRのいっていた内容から解けるものも多かった。MTMも的中があったのかもしれないが、身近にテコム派があまりいないのでその辺りはよく分からない。うちの教授はIPMNあたりの分野が専門なので、みんなPDを答えられていたがマトモに学校の勉強をしていなかったためぼくは普通に間違えた。オペ適応しか覚えていない。

分からなかった問題も消去法でみんな似たような解答になっていることが多く、休み時間に友人と答え合わせをするのも安心につながった。休み時間に答え合わせしている人々の中にはトンデモナイことを言っている人もいて、有機リンの治療を選ぶ問題について拮抗薬といえばナロキソンだよねー、などという声も聞こえてきて下には下がいることを知り自分が落ちないことを確信した。これは自信というより予感、そして予感よりも確かなものだ、と刃牙も言っていた。KSR刃牙の話を女の子はどんな気持ちで聴いているんだろう。ハグして濡れているんだから、刃牙の話はモテるに違いない。僕も大切なことはみんな刃牙から教えてもらった。

最終日はもうこれで勉強もしばらく終わりだ、という開放感からおまたが大洪水だった。3回くらいトイレに抜けた。

終わった後は行きつけの飲み屋でグデングデンになるまで飲み、脳細胞をアルコールで焼き尽くしたため、いまもう一度受けたら落ちるのだろうな。みんこれによると、パンリン8割、必修9割だった。模試よりも良い点がとれて満足。何ならセンター試験よりも得点率が良い。

必修落ちが多いであろうことが2ちゃん上で叫ばれているが、解けない問題はみんなとけていないし、深読みしないで解ける問題だけみんなが答えそうな答えを選んで拾えれば運が相当悪くないかぎり落ちないのでは、という感じがする。まあでも、一番緊張する1日目の必修はたしかに難しかったから心折れそうになって、そこから崩れて行く人も多かったのかもしれない。MLFや見難い痙縮の歩行障害の図やナルコーシスなどはなぜこれが必修で? と思ったけどね。心の問題が大きいのだろうかなあと思ったよワシ。

今日の夕方にはメックの解答がでますね
ではではー

冬の小さな雪深い村へ

都会からの潤沢なスキーマネーによりきれいに除雪された国道沿いを北東に走っていくと家が少しずつ疎らになっていく。途中で峠にぶつかり、そこで完全に関東平野から続いてきた町は途絶える。トンネルを二つくぐり、温泉街を抜けてさらにしばらく車を道なりに走らせると雪深い集落が現れる。関東平野のどん詰まりの特別豪雪地帯に指定された村に到着する。特別豪雪地帯という物々しい名前とは裏腹にきれいに青く澄んだ高い空の下で木々に降り積もった雪が解け始めて滴っており、なんだか春先みたいな気分になってくる。新しい土地、新しい出会い、新しい研修、わくわく。

診療所も一応民医連系列なのに診療所を建てたのは村である。極限の環境で人はイデオロギーの対立を放棄する。生存の問題の前に多くの問題はあまりに小さい。診療所の建物は古いながらもしっかりした鉄筋コンクリートの二階建てである。2階には小さな会議室と系列病院の人がスキーなどに利用できる福利厚生目的の6畳間が1つある。僕に与えられたのは、診察室1つと、この6畳間である。インキャな私の数少ない趣味がスキーであり、ここに宿泊して仕事終わりにナイターに行くためにこの時期にここで研修をすることにしたのは言うまでもない。

診療所の窓の外にはちょっと不自然なくらいに頑丈そうな鉄格子がある。暴れる認知症老人の脱走を防ぐためではないらしい。冬の間、屋根から落ちる雪が窓の外で壁を作る。一定以上の高さになるとちょっとした風で雪の壁が倒れてくる。以前そうやって窓ガラスが砕け散ったとのことで、想像の絶する世界だなと震える。

昼休みが2時間弱あることが助かる。人間的な食事をするのに1時間は欲しい。診療所から道の駅まで歩いて30秒である。道の駅には併設のレストランがあり、名物をそれなりの値段で提供してくれる。僕の今日のごはんは地元のマイタケの天ぷらと県内産の豚丼であった。美味。レストランから見える2000m級の山々がきれい。スクラブの上にコートを羽織って、むしゃむしゃと食べていた。天ぷらの上に無料のネギを狂ったようにかけていたので身バレをしたらクビになるのであろう。誰も私をみないでいてくれたらなと思う。

小児から100歳前後の高齢者まで、慢性疾患の長期管理から検診異常・急性の感染性疾患までを診る、放射線技師はいないので自分でレントゲンの条件を決めて撮影する。そのほかあるのは心電図とエコー、インフルとアデノの溶連菌の迅速検査くらい。血液検査は血算、CRPHbA1c、PT-INRしか分からない。限られた条件の中でトリアージと長期予後の改善や最終的には患者幸福度の最大化を目的とした慢性疾患のコントロールを行わなくてはいけない。食事指導や減酒指導もした方がいいけれど、別に人生観によってはいいんじゃないの、みたいな層の話から、エビデンスがどうなのという層の話をするための勉強が求められている。自分は診療所に興味がないタイプの人間かと思っていたのだけれど、存外そんなこともないみたい。結構楽しいです。

昼休み、ナイターに行くんですよ、と話していたら地元の事務や看護師さんたちから、平日はナイターやってないよとご教示していただいた。ありがとう、みんな、ありがとう、スキー場に行って絶望するより5万倍良かったです。さようなら、僕の夢、さようなら。その後近所にあるおいしい定食屋さんなどが書かれたパンプレットをもらった。ここはちょっとしゃれた店だね、と紹介してもらったところに「おねえさんと行くタイプの店」と書いたら、「おねえさんと行くんだね」「お姉さんいるの」「違うよ、これはギャルって意味だろう」

わたし「」(ぎゃる)おそらく予想は外れて、僕はギャルとデートすることは一生涯ないだろう。どちらかというと丸の内OLとデートしたい。けれど、そういう話をすると、悪い人がアラサーの丸の内OLなんて、パパ活とか散々してきているし、清楚華憐な君の考えているような乙女じゃないよと諭すんだ。

なかなか予想通りに物事は進まない。予想外に雪で窓は割れるし、診療所研修は楽しそうで、ナイターにはいけないし、丸の内OLはパパ活で汚れているのかもしれない。アテが外れることもあるなかで、楽しく生きていけたらな、と思う。明日こそナイターに行こうと同期氏と会話していたところで、明日の夜には新年会があることを思い出した。まあ、新年会楽しそうだからいいや。わあい。ADHD氏、スケジュール管理がザルなので想定外の日々を送ることを強制されている。

それでも年は明ける

「36歳女性とカップル成立したのはいいけれど、そのあと2回デートして、結局一回りも違う女性を連れて歩いていると衆目を気にしてしまうし、趣味や職業など文字に起こせばいい女性なんだけれど、少しずつ距離を置いていこうと思うんだ」

5日連続飲み会の3/5、先日に一緒に婚活パーティに行く羽目になってしまった研修医氏と反省会の2回目をした。何だかそのほかの出会いがうまくいっているようで何よりである。3人同時進行だと話していた。しゅごい。僕はと言えば、クリスマスイブにデートに行っておきながら、26歳で交際したら十分に結婚の可能性も考慮しないといけないし、まだ接触する女性のNが足りてないし、今はそういう感じではないなあと二次会をせずにノンアルドライバーとして女の子を車で家に送ってあげたことを思い出して、「楽しそうでいいなあ」と言った。店の看板料理のローストビーフはとてもうまかった。飲み放題にすればよかったのに、たいして飲まないからと一杯ずつ注文して、気が付いたら一人あたりの支払が6000円を超えていた。雑に予測を立てて、雑に失敗していき、考えているうちに日々が僕の意志とは無縁に過ぎていく。

 

「ブログ読んでるよ」

5日連続飲み会の4/5、前に座る27歳男子が話す。Yes or Noの疑問文に対する答えはハイかYesしかない。気が付いたら同じ日に飲み会が2つ入っていた。2時間ほど遅刻して1次会の二つ目に行く。同期氏は私の街コンの惨状を知り尽くしている。そのあとは追いつけ追い越せで、菊の露と白州(価格据え置き、シングルなのにダブルくらいの量が出てきてお得)をカッパカッパ飲んでいたからいい話を聞いたかどうかあまり詳細に覚えていない。刹那的に生きている。君のことをバイセクシャルかもしれないとおびえていた街コン歴戦の猛者の36歳男性が不憫でならない、そんなことを言われた気がする。

 

「ブログ読んでます」

5日連続の飲み会の最終日、新潟周辺で雪を落としつくして関東にとどくころには極限まで乾いた風がぴうぴうと吹くなか肝臓の調子が悪いのかいつもより3倍くらいの重さに感じる体をなんとか引きずって飲み屋にたどり着き、名ばかり幹事として後輩に仕事のすべてを任せてから、死んだ魚のような目をして私はヘラヘラした顔でえらい先生の話にたまに相槌をうちながらハイボールをすすっていた。隣の24歳女子大生は語り続ける。

「最初からママを求めているところに大きな問題を感じます。それではうまくいくはずがありません。そもそもモテようとする気概をあまり感じないですね。ちんぽが2横指である話や尿意のパーセンテージについての話はしないで黙っていれば街コンにいかずとも出会いは見つかるはずじゃないでしょうか。街コンでゲイのふりして隣のオッサンビビらせるのも楽しいですかね。なんというか、独り身になってから彼女持ちの余裕とでも言えるものはすっかり失われ、日々SNSで話す内容といえば口調も含めて自己肯定感の低いインキャのメンヘラオタクの一人語りそのものです。本当に気持ち悪いですね。」「あ、あの、ぼく、ぶしつけながら女子大生に気持ち悪いって言われると気持ちよくなるタイプなんですが、もう一度言ってもらってもいいですか」「そういうところです」なんだか涙が出そうになった。気持ちいいはずではないのか? よくわからない。童貞膜という単語はとても素敵だし大切にしていってほしい、とそんなエールをもらった。

 

「自分のいけてない性を見つめられるタイプのいけてないマンだね、自分のいけてなさを認識しながらそこにとどまる理由がよくわからないね」

私は真野鶴をお冷を本来は入れるべきコップになみなみと注いで飲み下した。これはどの忘年会の記憶だっただろう。テーブルのはす向かいに座る45歳(でしたっけ)の指導医氏がいつものちょっと悪い顔で話す。僕は何も答えられない。

 

わからない、何もわからない。五苓散の力をかりて酒を尿に変えつづけ、肝臓を苛め抜いた忘年会シーズンが終わった。何もわからなくても、そろそろここから動き出さないといけない。私のメンタルが終了するか、周囲の人間が僕にあきれ果てて見放す前に。