ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

おねしょの神様

 夜も更けた田舎の飲屋街、小汚いスナックの店々からくぐもって響く泥酔したおっさんの調子っぱずれの懐メロにどことなく寂しい気持ちにさせられる。月明かりに照らされた鄙びた街路をテクテクと歩くのは私、と、その遥か先に人語を解さぬビーストが奇声をあげて周囲を威嚇しているが周りには誰もいない。神よ、と天を仰いで見たけれど、無神教徒の僕を都合よく助けてくれる神様はいない。

 その30分前、病棟の飲み会は一本締めなどをして終わった。デブなので僕は話も聞かずに唐揚げを食べていた。きっといい話なんだろうが唐揚げより大切なことが人生に多くあるとはちょっと考えにくい。僕と同じチームについてる研修医氏は出来上がっており筋トレなどを始めていた。そのままの勢いで階段につながる二階部分の壁につかまって懸垂などをしているのを見ていたら突然姿を消した。それとほとんど同時に鈍い音が響き、おそるおそる階段に向かうと手足が妙な方向に曲がったグロテスクな泥酔者の姿を階下の床に発見した。中島らもは確か泥酔して階段から落ちて死んだ(https://www.google.co.jp/amp/s/www.nikkansports.com/m/entertainment/news/amp/1682081.html)。が、研修医氏は落ちた次の瞬間にはうつ伏せになり気がついたら腕立て伏せを無限にしていたからどうやら死んでいないらしかった。

 そのさらに前々日の夕方、出張という名の飲み会で富山に行く気マンマンだった僕はその日になって初めて行先が福井であったことを知る。福井県は恐竜と羽二重餅が有名らしいが、僕は恐竜というといわき市のイメージだった。いわき市はフタバザウルススズーキーと炭鉱とハワイアンズの街である。ドラえもんが好きだった僕にとって憧れの恐竜はティラノサウルスでもトリケラトプスでも、モササウルスでもアーケロンでも、ランフォリンクスでもケツァルコアトルスでもなく、フタバススキリュウだった。(『ドラえもん のび太と恐竜』を参照されたい。)フタバスズキリュウが固有の種であることが判明したのは確か結構最近の話で、ニュース(https://academist-cf.com/journal/?p=3434)で観た記憶があるなと思って調べてみたら、2006年のことだった。時間が経つのが早い。福島県いわき市も化石で有名でアンモナイトの博物館だったはずだが、どうやら福井には世界三大恐竜博物館があるらしい。なにそれすごい。行ってみたい。化石の博物館といえばシカゴのフィールド博物館に置かれているティラノサウルスの化石標本の顎にトリコモナスの感染の跡があったという話をどこかできいたなと思って調べてみたらこんな記事(https://www.afpbb.com/articles/-/2648322?cx_amp=all&act=all)をみつけた。こんなことをネットサーフィンしているうちに昔古生物学者になりたいとか言っていた時期があったことを思い出した。何かになるというのは何かにならなかった(なれなかった)ことだから、何になったところで他のあらゆる全ての存在になれないということなんだけれど、そういう目で昔何したかったんだっけとか考えると少し切ない気分になる。でも結局個別の要素が強すぎてRCTが組めないようなn=1の問題に対して、予め決まっている最善手があるかのように考えることの方が病気だなという気もする。

 福井駅の前には巨大な恐竜の模型が置いてあって、これがまたリアルで、たまに動いたりするようで、しかも改札の自動化の前に恐竜が動くようになったとかで、福井県民の恐竜への熱い思いなどを感じていた。焼き鳥が有名とのことだったので、ビールと地酒と焼き鳥をつついて、刺身をたらふく食べて寝た。そもそもが学生を勧誘する旅だったのだが、学生さんが握りっ屁をかがせてきたり、突然尻に噛み付いてくる彼女がいて、その彼女の幸せを願って地元には帰らずに遠い地に行くと話していたからハナからダメだった。美味しいごはん食べられたから僕は満足。

 その24時間後、僕は途切れない救急車を受け続けていた。田舎なので断るという選択肢はない。そのうちクソど田舎なのに県内搬入数ランキング4位にまで上昇したことと地域の輪番病院が夜になってから一台も救急車を受け入れていないことを救急統合システムの関係者メニューで発見して救急隊は輪番のシステムを何だと思ってるんだべかとうんこもれそうになった。睡眠時間が足りないと人に優しくできないし、うんこも容易にもらしてしまう。

 長い夜が明けた。隣で一緒に当直した人妻研修医氏が口から魂に似た何かを吐いて死んでいた。午前中で帰って良いことになっていたが病状説明を5件入れていたし、こじれた関係になった患者家族にゴリゴリに当たられたりしていたら昼が過ぎ、夕方になり、カルテを書いていたら夜になり、そうしてまた新しい飲み会がやってきた。

 

 泥酔した研修医氏は死んでいなかったので、朦朧とした意識で電柱と戦わせるように誘導して遊んだりしていたが、拳が限界になったようで、そのうち言葉にならない叫びをあげてさびれた田舎の飲屋街を猛烈なスピードで駆け抜けていった。途中から人語を発することができなくなったので、僕の家に連れて行き、意識も悪かったので、きつけ薬としてウイスキーをコップに注いで一緒に飲んでいたらそのうち倒れてしまった。翌朝ニヤニヤしながらズボン貸してというからどうしたのかと思ったら床がションベンまみれになっていた。おねしょマンは罪の意識と無縁のようだが、私といえばいつも罪の意識にさらされている。睾丸にウエイトトレーニングが必要だ。テストステロンしぐさをしなくては。

 

 

ビアガーデン

 いつものように飲み会の予定を忘れていた。当直明けの倦怠感が背中にのしかかってきて、殺風景な家の布団に寝転がってみたはいいけれど、なんだか心がザラついたような感じで、目を閉じても焦燥感があって寝付くことができない。ゴロゴロしながらツイッターでの見知らぬ人々の殴り合いをみたり、目が疲れるからやめてじっと目をつぶってみたりしていた。

 アルコールが入ってもそんなに変わらないよね、と言われて何を言ってるんだと思ったことは一度や二度じゃない。飲み会明け、殊に二日酔いを伴う時は尚更に低すぎるテンションとこみ上げる気持ち悪くて酸っぱい嘔気でしんどくなる。こんな時に限って、前夜に何か気が大きくなっていけないことをしていやしないかとたまらない不安感に襲われる。別に記憶がないわけじゃないから、一つ一つ思い出してみれば法に触れるようなことをしていないのは分かりきっている。けれども、あの場面であのセリフは適切ではなかったのではないかとか、これを言われた方の気持ちってどうなのみたいなことを考えはじめてどんどん沈んでいく。

 気持ちの大きさの波の振幅がそのまま目の荒いヤスリみたいにただでさえ目を開けていることが精一杯な僕のメンタルを大根おろしみたいにジョリジョリと削っていく。

 ごめんなさいのセリフが苦手だ。僕自身、小さな頃に物を壊されたりして、担任の先生の前で謝って一件落着にさせられる時の謝罪の圧力が嫌いだったし、また逆に大学1年生の頃に推している女の子にうざ絡みした後に本当にごめんなさいと言ったら、謝ればいいんですかねそういうのは実際の行為で示されないと困るんですよね(大意)と言われて泣いたりしていた。

 予定調和に向けた軽い(ように見える)謝罪から受ける力が強めであることは、なんだか心の物理学的に正しさが欠けている感じがする。

 布団に寝転がって、まぶたの裏側にはりついた模様に意識を集中していたら、ラインの通知音が僕に同期飲みのビアガーデンをお知らせしてくれた。

 駅前のテナントがほとんど入っていないビルの屋上につくと風が強くて、遠くの山並みがきれいで、提灯がどこか夏らしくて、まだ日が高いのにおっさんたちが飲んでいて、子供達がわけのわからない叫び声をあげながら屋上を走り回っていた。あっあっと適当な母音を発してグループに混ざって、エビスビールの黒と普通のハーフを頼んで一気に飲み下すと、胃があったまってきて、なんだか穏やか気持ちになってきた。走る子供達が一生懸命で可愛い。気が大きくなって、別に仲良いわけでもない女の子と連絡などしながらビールを飲み続けていた。みんな三年目になって大変そうだなと思う。同期氏の家に泊まって、科学と哲学についてみたいな本を渡されつつ自作のカードゲームをやったりしてから寝た。

 翌朝はいつも通りに気が小さくなって、泣きそうになっていた。中島らもが本物のアルコール依存症の人はずっと酔ってるから二日酔いにならないと言っていた。僕はダメな方にも良い方にも本物になれない。

 家に帰って、朝ごはんも昼ごはんも食べずに、雨が道路を打つ音を聞きながら、布団に丸まって夕方まで寝ていた。このままじゃいけないと冷蔵庫にあった豚肉300gをニンニクと炒めて一気に食べたらなんだか生きててもいい気がしてきたし、なんならゴジラでも映画館に観にいこうかなくらいの気分になってきた。豚さんに感謝。

 ツイッターで僕の周りにはこういう人ばっかり! みたいな対立する派閥をこき下ろすタイプの言説によく触れる。観測範囲内の相手がその属性の一般的な集団だと思う人々が多くてびっくりする。大抵の母親は父親に子育てしてほしいというよりうまくできないのをみてダメだと指摘したいだけだとか、大抵のヴィーガンは肉フェスの横でテンション下がる貼り紙をするからいけてないとか。

 昨晩、同期氏に手渡された本は光が観測される確率の波であり粒の性質もあるってどういうこと? みたいな話をとても直感的に分かりやすく書いてくれていた、そこだけ読んだ。実験が何より正しいと考えて、それありきで仮説を立てて新しい実験をして検証するべきだよね、みたいな自然科学の根本的なところについて書かれていた。

 ツイッターでの論争もそうなんだけれども、自分の観測した事象が普遍的なものであると結構無自覚に信じがちだよなと思う。実験にしたって、例えばそれって隣の銀河系でタコみたいな宇宙人がやっても本当に同じ結果になるの? 地球以外のあらゆる場所で実験することが不可能なのにどうしてそれがそのほかの場所でも常に成立すると考えるの、とか。観測しえないものについて語ることは不可能だから、仕方ないんですかね。

 豚肉を食べた後の僕、ビールをたくさん飲んだ後の僕はシラフの僕とか立ち位置が違って異なる観測点から世界を見ているみたいだ。豚肉アフターに、雨の日の涼しい6月の風がカーテンをひらひら揺らすのをみるとなんだか雨も悪くないなと思う。

りっぱにりっぱに

  エアコンの配管からの音の波長が絶妙なので、夜当直室で寝ていると遠くで鳴っている救急車のサイレンの音のように感じられることが多々ある。救急車をタクシーがわりに使う人が問題って話は度々耳にするけれど、地域柄もあるのだろうが救急車に乗ってくる人にはそれなりの理由がある人が多い。勿論中にはどうしてこんな症状で救急車呼んだんだろうと思う人もいるけれど、カルテを見て救急外来ばかりを受診して昼間の外来に来られない人には背景に現在の症状と直接関係ない問題があることも多い。認知症で一人暮らしまたは老老介護、境界くらいの精神発達遅滞ばかりの家族、統合失調症の人、などなど。救急車を利用しなくても、夜にばかり来る患者というのもいて、昼間の外来で慢性期のコントロールをきちんとされないから喘息発作になったり、緊急性がないからと対症療法のみで帰宅にされ確かにその時々の救急外来の対応としては間違えていないんだけれど、何の解決にもなっていない人、など。

 以前より、救急外来は敗者復活戦だと思っている。CPAの搬送などその最たるものだろう。心臓もとまって呼吸もしてない人間が、どうして普通に生き返ることがあろうか(目撃者あり、バイスタンダーCPRがあり、かつ解除可能なAMIや電解質異常や窒息低酸素などがあればまだしも……)。

 6/3に抄読会がある。田舎にいるとアカデミックなものに触れない、ベストな臨床のためには正しく臨床研究の結果を解釈できる必要がある。ゾフルーザは使うべきなのか、高齢者の誤嚥性肺炎には院内肺炎だからという理由で広域抗菌薬を使うことは適切だろうか、せん妄に対してラメルテオン(ロゼレム)を使うことがたまにあってこれ(https://jamanetwork.com/journals/jamapsychiatry/fullarticle/1831407)を根拠にしているんだと思うんだけど実際どうなんだろう。CPAで除細動の適応がない時にとりあえずアドレナリン打ってROSCさせるけれど、ほとんどの場合、解除可能な原因はなくて、いつからCPAなのかも分からず、とりあえず心臓が動き始めたら重症者用病棟に担ぎ込むけど、数時間でお看取りをするのは本当に意味のあることなのか、そもそも蘇生行為の中止をするときに家族にもう無理なので中止しても良いですかと訊くのにどんな意味があるのか、嫌だといったら死後硬直が出るまで永遠に続けるのか、めまいに対してのHINTSは不慣れな人がやっても本当にMRIよりも感度や特異度が高いのか、ゲロまみれの患者さんの頭をブンブン振ることがどれだけ現実的に可能なのか。ドパミンとノルアドでどっちが昇圧は良いのかって話はしばらく前にノルアドが良いと決着がついていて(https://www.nejm.jp/abstract/vol362.p779)心原性ショックにおいてはよりノルアドの推奨度が高いとされているけれども、たとえばLOSで重度の弁膜症がある時にも本当に後負荷をあげることが予後改善につながるのか、病態を改善するのはβ刺激で心拍出量を増やすことだと思うけどなあ、などなど、日常臨床をしていると疑問が尽きない。かといって、pubmedなどを調べてみたところで、論文を批判的に読めるかと言われるとどうもそれも無理なような気がする。ガイドラインなどを読んでみるがガイドラインガイドラインでCOIの関係から盲信もしにくいという話(https://ebm.bmj.com/content/23/1/33)もあったりする。

 そんなわけで、自分で何が正しいのかを判断する力が欲しいよなと最近思う。何を信じたらいいのかよく分からない。最低限のまずいことはしないようにしているけれど、せっかくならばベストな選択肢をとれるようになりたい。自己肯定感向上のための広義のオナニーの一環である。

 先日病院主催の勉強会で、立派な集中治療医の先生と話していた時、数の大きなRCTなんて患者ごとの個別の病態についてはあまり考えられてないから大規模RCTの結果だとわずかにこっちの方が予後が良いらしいけれど、でもこの人の病態的にはこっちじゃない? みたいな話はあって良いのよと言われた。たしかに本来的なEBMはそういうものだし、そうでないならガイドライン人形になってしまう。ところで、その先生が敗血症性ショックに対してノルアドの容量が0.1γをすこし超えたくらからSIMD否定できればバソプレシン使ってると思うけど、では逆に切るときはどう切ってるかね、と訊かれて、追加したのがバソプレシンなので切るのもバソプレシンを先にしてますといったら先にノルアド下げた方が良いとぼかあ思うけどなあ、と言われた。理由を聞きそびれてしまったので知っている人がいたら教えて欲しい。

 ちなみに抄読会の論文は院外心停止に対して早く救急隊がアドレナリン1mgを投与すると予後は改善するかという話(https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1806842)を選びました。蘇生行為を行うたびに虚しい気持ちになるからだ。結局、アドレナリン投与群で生存予後は良いけれど、生き残った人同士を比べると神経学的予後の悪い人の割合はアドレナリン投与群で多いと。まあそりゃそうでしょうね、生き残った数が違うんだから。そもそも神経学的予後を改善するかどうか自体も微妙とのことだけど、3ヶ月後の神経学的予後の調整オッズ比は0.97-2.01で有意差なしになってるけれど、limitationに当初予定していたよりも生存者が少なかったと書かれておりもう少し参加者が多かったら有意差がつきそうな感じがする。僕はむしろこの論文の著者の、アドレナリンなんて打ったって無駄よどうせほとんど死ぬもんね、という僕と同じような悲哀のメッセージを感じとったよ。だから、生き残った人同士を比べたら神経学的予後は悪いしね、なんて当たり前のことを言いはじめるんじゃないかな。ちなみに、救急車の病院への到着時間が結構早くて、これは僕の勤める田舎病院にそのまま適応しにくいのかなと思った。遠くの温泉街のCPAで40分かけて搬送された人の蘇生行為にそもそもどこまで意味があるんだという話もあるし、そういう人に対してなら早めにアドレナリンうってあげた方が良さそうだけど。

 いずれにせよ、救急外来は敗者復活戦だから、そこから普通のリーグ戦に戻せるようにしたいし、普通のリーグ戦で負けないように考えないといけない。誰にも評価されないような、どの時間帯のお薬が余っていて飲み忘れが多いのかを把握して昼に飲み忘れが多ければなるべく1日朝に一回の薬にして一包化するとか、定期外来になかなかこれない人に通院支援のバスの利用方法を教えるとか、血圧手帳を渡して病識をもってもらうとか、検診を受けるように強くすすめるとか、肺炎球菌ワクチンをすすめるとか、フロセミドだけでコントロールされている心不全の人の薬を調整してかかりつけ医に返すときに何故この薬に調整したのかをきちんと理由を添えた診療情報提供書をつくり急性増悪時にはいつでも送っておくれと書いておくとか。そういう勝つための戦いもしたいけれど、そういうのって地味だから、誰に評価されるわけでもなくて、寂しいからこういうところでブツブツ言ってるんだ。

 せんせのブログ読みましたよ、と黒髪の乙女が言っていた。それからまた書き始めていることを考えるとやはり、僕はオナニーは苦手で、他者からの目線がモチベーションに繋がるタイプの人間なんだなと実感した。

 ちなみに救急外来の待合室に救急車の不適切利用はよくない! と書かれたポスターが貼られている。待合室に待つ多くの人は不適切利用をしていない人なのだから、ここにこのポスターを貼ることで一体誰が得をするんだろう。なにかを主張するときは誰に伝えたくて、何処に向かって叫ぶべきかを考えないといけない。僕は何のためにブログを書いているんだ。オナニーよりも視姦プレイを楽しむという方が近いのかもしれない。

しらないまちへ

 ワンマン電車の信越線が長岡をすぎると少しずつ家より田圃が多くなり、さらに行くと山がちになってそのうち田圃すら少なくなっていく。6月初めの透き通った風を受けてひらひら揺れる小さな稲たちが涼しげで、うとうとしながら初めて乗る路線の車窓を流れる景色を眺めていた。

 この外勤先の街自体に来たことが1回しかない。家から150kmも離れている。来たことがあると言っても谷村美術館に行った時に通ったことがあったような、なかったような、コンビニくらいは寄った気がするな、くらい。あとガソリンスタンドのおねえさんが可愛くて鼻の下を3メートルくらいに伸ばしたのもこの辺りだったような気がするが何年も前の話で定かではない。

  電車にはさわやか男子高校生たちが部活帰りじみた格好で群れて乗っていた。人生楽しそうで何よりである。僕が高校生の時といえば、18歳になったからと高校近くの本屋さんで堂々とエッチな本を立ち読みしていたら店員さんに高校生は成人コーナー立ち入り禁止です、などと言われて怒られていたように思う。18歳であることを力説したがダメだった。この差はどこから来るのだ。その謎を確かめるために僕はニーガタに向かった……。

 

  まともな人のまとも性みたいなものにすごい弱くて、車の中で文字の多いマンガ本を読んだ時のような気分になってしまう。親しき仲でもパンツ履け、という話は尤もで、確かに一々わかり切っているあなたの非まとも性について説明されても、もうお腹いっぱいだし、もういいんで早くパンツ履いてそのくさそうなブツをどっかにやってください、とそうなるに違いない、違いないことは分かるのだけれども、クソにシャネルの5番をふりかけたようなまとも性はやっぱり苦手。

 地元に帰ってきて3年目になるので、さすがにチラホラ知り合いだとか僕を知っている学校の先生に病院で出くわすことがでてきた。そんなことがあるたびに、中学校の頃に先生からいい子と言われていた子が認知症の祖母から毎月のように新年と勘違いさせてお年玉をもらっていたなとか、親に虐待されててお風呂に入れてもらえない同級生をみんなが臭いと言っていたけど特に誰も止めなかったなとか、その子がドチャクソ大きな口を開けた時にふと閃いて固めた乾いた木工ボンドを口にめがけてデコピンしたら入ってしまいご本人と先生にすごい怒られたなとか、福耳の同級生の耳たぶを引っ張ったらいつか肩につくのではと思いついたので連日願いして毎日耳をひっぱらせてもらってたなとか(しばらくすると耳たぶを肩までくっつけようとしている作戦がばれて猛烈に嫌がられてしまったので作戦は立ち消えになった)、僕が学校に忘れてきた帽子を猫の死体の上に載せて遊んでいたことを学校の先生に指摘されて泣いていたさわやか優等生イケメンがいて、彼もこれだけ反省しているんだから許さないという手はないでしょうと担任に圧力をかけられたなとか(僕は全く許していないかったようで大人になってから一緒に飲んだ時に、僕は泥酔しながらその時大晦日のテレビで放送されていたリゴンドーがボクシングで相手をボコボコにしてるのをみてテンション上げた状態で彼に渾身の中段突を放ったところ倒したは良いのだが極真空手の黒帯の人に上段突されて止められた、僕の方がずっと重傷、何かがおかしい)、僕が勉強を教えてあげていた子たちは通知表が僕よりずっと良かったなとか。そんな記憶の断片が蘇ってくる。

 なんだかさわやか優等生タイプへの怨念がすごい。そういう人たちが女の子とすけべした後やシュラスコでタンパク負荷を沢山して死ぬほど臭い屁などを尻からだしながら、まともなことを話したり内省の乏しさから他人に対してのみ本気で義憤に駆られたりするのを想像すると論理的一貫性がないような気がしてゲンナリしてしまう。いや、でも僕に耳たぶ伸ばされてた子もひょっとしたらいじめられていたと認識しているかもしれない。他人にばかり内省を求める客観的視点のない人間のことが嫌いなのは自分がまさにそういう人間だからなんじゃないか。そんな説もある。諸説あり。

 なんにせよ、これらの薄暗い気持ちからファッション発達圏の人をやっていた(これ現在完了のつもりなんですが日本語で現在完了使いたい時って過去形と区別できないですよね欠陥?)つもりがいつからかどこまでがネタでどこまでが僕自身なのかよく分からなくなってしまった。まともさからの逃避としてのファッション発達圏がより重度の発達マンを侮蔑し、わたし自身の幸せをも阻害している。諸悪の根源だ、これに諸説はない。

 

 高校生たちは名前も知らない駅でぽつりぽつりと降りていった。電車のドアが開くたびに涼しい風が車内を吹き抜ける。あのドアの向こうは僕の行き場じゃないなと思ってすこしさみしいような気持ちがした。田圃のきれいな風景は窓の向こうにあるものであって、どこまでも外からの観賞用で、銀幕の上の青春と同様にわたし自身の物語とはなり得ないのである。

 

 

そうだ京都に行ったんだった

 当直が一段落ついた。早く寝たほうが良い。はてなブログiPhoneから更新できることを知ってしまったので、短文を頻繁に更新していきたい。ツイッターとの境界が不明瞭になってしまう。

 

 京都には何となく憧れがある。道にははんなりした黒髪清楚なおねえさんが歩いていて、何やら優美なことを話して、和歌とか詠んだりしているに違いない。センター試験で科目ミスして泣いていた時に、京都の予備校を予約して京美人と出会うことだけを目標に生きていた。何故か夢は叶わなかったけれど、大人になったから、京都に行こうが行くまいが、黒髪清楚なおねえたまと仲良くなるということをアウトカムに設定している限りにおいてはあまり人生変わらなかったと納得している。えらい!

 

 学会会場の近くには飯屋があまりなかったので、仕方なく連日餃子の王将に行っていた。いや、嘘か、最後の一日はマクドナルドだった。だから最後の一日だけは昼間にビールを飲むことができなかったのである。

 

 昼にビールを飲むのが好きなのは、背徳感が同じ味のビールにスパイス的に機能するからだ。思えば僕は、背徳感に異常に執着している気がする。黒髪清楚なおねえさんについて度々言及しているのは、黒髪清楚なおねえさん自体が良いというよりもそのけしらかんかんじではないところにけしからなさが存在することによる非常に強烈なけしからなさから来ている。とてつもなく汚れないように見えてその実べつにそんなことないみたいなのがなんだか余計いけないような気がしてしまう。

 

 背徳的な人間だから、餃子をたらふく食べてにんにく臭い吐息を産生しながら教育講演などを聴いていたがあんまり面白いものがなくて残念だった。せっかく高い学会費を払っているんだからもう少し教育講演を充実させてほしいな。

 

 大学一年生の頃に泥酔して好みの女の子の靴下を食べたことがあるらしく、僕もまったく覚えていないし、覚えていないことが何の言い逃れになるとも思ってはいないけれど、とにかく嫌われていたのでした。その女の子が、学会にいて、わたしそろそろ結婚するのと話していた。

 

  へーえ、そりゃー、へーえ、と言っただけでおめでとう! みたいにならないのもイケてないしキモメンのキモメンたる理由、そういうところだぞ! の思いを新たにした。みんな自分の幸せを見つけていく。僕は靴下食べていたころから何一つ変わらずに学会に行ってビールのんでほろ酔いになって、持ち前のADHDを発揮して2回もiPhoneを紛失した。

 

 僕は京都に行き、何一つイケてることをせずに背徳感とは、みたいな話を考えていたら学会が終わった。せっかく勉強する機会だったのに、立派性を身につけることができたかもしれなかったのに、身につけたのは空虚な背徳感だけで、そういうのはどちらかというと罪の意識とかどこへも行かれない閉塞した感じの気持ちに近い。

 

 僕は以前から旅をするとは、ここではないどこかに行くことであって、わたしは常にここにいる、のだから、ここからいなくなることとは結局自分が自分自身から離れることを目指す行為に他ならないと話していた。僕は京都に行きたかったんじゃない、イケてる自分になりたかっただけなんだ。僕が行った京都は何となく僕の行くはずだった京都とは違っていた。 帰り道、お土産を駅で買ってから帰ろうと思っていたのに、ダッシュで新幹線に乗ってしまったのは一体どういうことだろう。ここではないどこかに行きたいけれど、そんな場所はない。

ポリクリと限界料理の話

 どちらかというと料理をする方だと思う。凝ったものは作らないけれど、ニンニク、脂、肉、トマトかクリームまたは豆乳にコンソメ、あるいは野菜とウェイパーなどを火にかけたりして雑な料理をつくってビールをすすりながら食べながら映画みるのが好きだ。一時、だしの素を使うことに批判的なツイートが物議をかもしたことがあった。楽できるものは楽しないと続かないよ、特に一人暮らしで自炊の利点が見えにくい場合はね、と僕は思う。

 最近一人暮らしを始めた。もう親にパソコンで何書いているの、とか訊かれないですむし、エッチな動画も堂々と部屋で見られる。今日の昼頃に洗濯機を設置してもらった。洗濯機、冷蔵庫、プロジェクター、シアターサウンドバー、AVアンプ+サブウーファー、シアタースクリーン、お気に入りの博物画3枚、先日の結婚式の引き出物でいただいたフライパン。2LDKで5万円、築28年4階建て鉄筋コンクリート、50平米くらいだったと思う。田舎なので物価が安い。目の前には行きつけの飲み屋がある。知っている土地だから新生活という感じはあまりしない。自炊なるべくしたいなと思うけれど、一人暮らしだと金銭的なお得感は見えにくいからそれ自体が楽しくないときっと続かないんだろうなと思う。好きなご飯を作って好きな酒のアテにして、好きな映画を観る、そんな生活ができたらいいけれど。

 

 僕が専攻医として残留している病院は比較的学生に手技をやらせてくれたり、学生が電子カルテのアカウントを持って患者を受け持ち、カルテを書く(指導医のカルテ記載が「学生のカルテを承認しました」の一言だけでその患者の記載が終わることもあるので大学とは少し異なる印象)、朝に採血当番があり病棟で採血をする、動脈血採血があると呼ばれて研修医に教えられながらとったりする、当直をすることができる、初診外来で問診をとらせる(僕は自分に余裕がある時は問診とらせているけれど人による)など、僕の今いる地方の大学のポリクリの中ではできることが多いようで実習に来る学生は基本的に意識が高いことが多い。意識の高い学生と僕が学生時代に接触することはあまりなかったし、冷めた目でみてしまう側だったけれど、教える側になってみると、やりたいことが明確なので、困ることは少ない。

 ここで書いたかどうか忘れたが、大学時代の実習は本当に苦痛だった。わけのわからない内視鏡の画像を延々と見せ続けられ特に解説はされず発達圏の指導医に邪魔だどけと言われ、文体がきにくわなかったようで発達がアレなのでご丁寧に助動詞やいいまわしを赤ペンで一つ一つなおしてくる、あるいは指導する気がまるでなさそうな画像診断医のもとでもくもくとCTを読む(※)。意識の高い一部の学生たちはそれでもすし職人のごとく(すし職人修行が実際どんな感じなのだか僕は知らないけれど)真面目に見学したり調べたりしていたが、僕は非生産性を憎んでいるので、このスタイルは意味がないなと思って、また勉強しても給料増えないし、訴訟リスクがあるわけでもなく、何一つ利益がないなと判断して、カンファレンスの時間は大抵二日酔いでゲロとアルデヒドの香りを放ちながら椅子で爆睡していた。

 最近になってきたポリクリ学生が久しぶりにやる気のない側の人間で少し親近感がわく。学生と同じチームの4年目の先生は極めて立派なので(初診外来に健康状態の悪い外国人の農業実習生が多いから実態調査をしたいなどと言っており感心した、立派だ)、教育熱心だがあんまりやる気のない人間にどう接したら良いかよくわからなくて教育に関するモチベーションが燃え尽きそうみたいな話をしていた。僕もっとひどかったですよと言ってもマタマターいう感じであまり真に受けてくれない。働いてからは訴訟が怖いのと、イケてない医療をしている自分というのが自己肯定感をゴリゴリ削いでいくのが嫌で勉強しているだけなんだ。

 学生時代は勉強することのメリットが見えにくかった。医学自体が僕にとって非常につまらない学問だったし、その面白さを伝えてくれる人もいなかった。例えば、抄読会である薬が効果があるかどうかのRCTを読んで和訳して発表するが、それで終わりで、どう批判的に吟味するかといったことは全く教えられなかった。(自分で勉強しろというのは尤もだけれども、大学病院は教育の役割を担っていることを忘れてほしくない。)RCTでこっちが正しいという話になりました。はい、おしまい、で、実際の臨床における正しさみたいなものについて考える機会は全くなかった。本来であれば、特定の患者を診る時に出てきた疑問に答えるべくガイドラインを調べてみて、そのガイドラインの一次文献の論文にあたり、それを批判的に吟味したうえで目の前の患者の治療方針の妥当性を検証するべきである。それなら知性を要求される運動だがどっちの薬がより効くといった論文を読んでへえそうなんですねと無批判に受け入れるだけの一部居眠りしている人のいる抄読会は本当に生産性がないし、生産性がないことを仕事にするのは頭が弱い。診療に知性はいらないからおつむの弱い意識の高い田舎の小金持ちの無産階級が奴隷になって医者をやっていればいいじゃないの、僕は貴族になりたいよ、で草原を買って城のまわりで羊を飼って暮らすんだ。実習中にはそれしか思わなかった。

 教育というのはなかなか難しくて、ともすれば価値観の押し付けになりがちで、相手を想像するときにどうしても自分を出発点に考えがちだ。意識の低い学生が僕とは全く違う形で意識が低い可能性や、意識が実は高いのに発達に問題があってそのアウトプットの技術に難があるだけの可能性だって十分にあって、色々想定するけれど、それでもなお考慮されないケースがあることを常に考慮しなくてはならない。想像力の地平線の向こう側にも世界があることを、見えなくても存在を想像する必要がある。すし職人が教育の理論を知らないように医師の多くもまた教育についての知識を持たない。非生産的な教育が行われて、形ばかりアメリカに追従して長い実習期間になって多くの医学生が誰かのオナニーの犠牲者になっているという印象すら受ける。オナニーしたければオナクラに行けばよいのだ。

 今日は豚肉300グラムをフライパンで炒めていたら、机の上に先日購入したイナバのグリーンカレー(絶品である)を発見した。豚肉のグリーンカレーもあるにはあるはずなので、ご飯のかわりにグリーンカレーをフライパン上で肉に絡めて食べたら当然神々の食べ物が誕生した。自炊なんてこのくらいで良いよなと思う。自炊のハードルが高くなると、そもそもやる気がなくなるし、人によって自炊へのモチベーションも違うもんな、など。ただ好きなものを好きな時間に食べるのは結構素敵だ、夜にほろ酔いで巨大な肉を焼いたり、チーズイン卵焼きを作ったり、ニンニクと鯖缶とトマト缶とコンソメを混ぜて鯖のトマト煮込みを作ったりできると限界酒徒のQOLが向上する。

 モチベーションに寄り添える人になれたらいいなと思う。ちなみに僕がグリーンカレー豚肉を食べる時に隣でビール飲みながら生きてていいんだよと言って寄り添ってくれる素敵なおねえさんは引き続き募集中だ。

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※5年生の時に実習が苦痛すぎて書いた文章を発掘したので貼っておく

 港町の中心部から3キロほど離れた(家から120キロ離れた)600床強のN病院での5週間にわたる過酷な放射線科実習もあと数日で終わると思うと心が軽くなる。何一つやることがないのにも関わらず八時半に集合し、それから午後五時まで「昼休み適当にとって 」と「今日は終わりにしましょう」以外に指導医とほとんど会話をしない、薄暗い読影室での実習は、まさに心の修行以外の何物でもなかった。(若手の先生は時たま課題をくれたり、会話を振ってくれたりするのだが……)
 パソコンの前に座らされて「まあ適当に画像見ていて」と言われたところで、適当に画像を見ていて毎日8時間潰せるような人間がいたら、それは頭の病気だ。何かしら、読影しなければいけない画像があり、必要に迫られて、この画像にどんな所見があるのか探し、教科書をめくって、鑑別疾患を挙げていく……という流れがあって、初めてできる作業ではないのか。あと、お給料。
 数日経って「画像を適当に見ていて」というのは指導ではないし、学生の指導は好むと好まざるとにかかわらず、そしてそんな暇があるかどうかにかかわらず、指導医の義務であるし、義務を果たしていない指導医は、学生としての義務を果たさない実習中に勉強しない学生を叱る権利も持ち合わせてはいないのだ、ということに気付いた。それからは卒業試験の問題を持っていき、ひたすらイヤーノートで解答を作っていく日々が始まったわけだが、この作業自体は決して過酷なものではなかった。というのも、勿論、勉強に集中し続けることも困難だから、という理由で、読書と平行して作業を行っていたからだ。
 僕の精神を最もすり減らしたのは、このきわめて明快で論理的な解決策に至るまでの理路を指導医が全く理解していない可能性についても考慮せねばならないことだった。その時僕は50代半ばの疲れ切った目をしたえらい先生に「あなたが指導しないから、僕も勉強していない、お互いに義務を果たしていないなら、それでいいじゃないですか、何を怒っているんです?」と言えるのだろうか。勿論答えはNOだ。自分が考えた、自分の正しいと思うことを、相手がいつも理解しているとは限らないのだ、ということと、色々な可能性を考慮しつつ相手の気分を害さないこと、が大切だと分かる程度には僕も大人である。
  これらの考えから、僕は言われた通り「適当に画像を見ている」風を装いながら、隅っこで小さく卒試の勉強をし、また読書をする、という折衷ポイントに軟着陸をすることにした。勿論、実際に指導医に「画像を見ているな」と思わせることが目的ではない。「少なくとも適当に画像を見ているように思わせる努力はしているのだな」と思わせることが目的だ。このあたりに気を回すのに非常に参った。時には「なんと不真面目な学生だ!」と思われているのではないかと勝手に考え、いっそのこと堂々とサボるのもアリなのでは、と葛藤したけれど、理性ある人間は強い忍耐力を持った人間だ。僕はそういう人間になって、モテモテになる。(筆者注:このころは彼女がいたはずである)
 そして、とうとう寿司は食えずじまい。外科を選べば朝四時くらいまで飲み会を連日開催してもらえたらしいのだが、ううむ。今更いっても遅い。また、指導医はこの病院の研修医の採用担当のトップなので、僕はこの病院で働くことはできないでしょう。


 次の実習1か月が最後の実習になる、と考えると、長かったなあの感がある。 本当にこんなに長期間(一年半)の実習が必要だったの? 実習が長引いたせいで、座学の日数(コマ数ではないらしい)が足りないため、半日だけの講義を長くとって休みを削ってまで、本当に必要だったの? 卒業してから、実習の期間がちょっと長かったからって、何か得するの? そして、その得って、二度と帰っては来ないエネルギッシュな20代前半を、その時しかできない娯楽に打ち込むよりも本当に大きいの? と、まあ、不満は絶えない。そして、高校から抱き続けていた「僕がなりたいのは、立派なお医者でなくて、満ち足りた人生を送る人だ」という思想は結局こんなに長く実習を続けていて、楽しそうに、あるいは死んだ魚のような目をしながら臨床戦士をやっている先生方を見ても、まったく揺らぐことはなかった。
 最近は、将来ニュージーランドあたりで牧羊をしながら、酒を飲み映画を見て読書する生活を送るために、英語の勉強を始めた。もっと身近な夢が欲しい。 

 

Tinderの話

 店の中に入ると建物自体は一般的な定食屋なのに、異国の耳慣れない音楽と昼からビールをのみつつポルトガル語と思われる言語を話すおじさんとおばさんと若者のグループが大皿にもられた食事をつついていた。

 「せんせ、私のことブログのネタにするんすか、うわあ」

対面でペルー料理の意味不明なカタカナで書かれたメニューを眺めながらtinder女子は難しい顔をしている。

 何か月か前に「Tinder始めてみたら、私はこれでセフレみつけておまたの乾く時間がないくらいよ」と言われた。そうして素直な僕は暇な女子大生なるTwitterアカウントにより一躍有名になったそのTinderなるマッチングアプリをインストールしてみたのだった。位置情報を利用して相手との距離(地名は明かされない)とプロフィールが表示される、そして女の子の画像を右へ(好き)左へ(嫌い)とスワイプする仕分け作業に興じて楽しく過ごしていた。お互いに好きの方にスワイプすると"It's a match!"と突然でかでかと表示され、アプリ内で連絡を取ることが可能になる。

 たまに東京に行ったときに起動して、周囲にいわゆる丸の内OLというやつがおるのでは! と思って使ってみたりしたが、マッチした数人とお話してみても、連絡先訊くのも何か怖いなとか、本当に中身オッサンでないとは言えないしなとか、思ってイマイチやる気がでなかった。また、たまに「ヤリモクNG 真面目な関係求めています」みたいな女性アカウントの自己紹介があって、ぞわぞわした気持ちになった。スラム街を全裸で歩きながら「レイプNG」の看板を持ってるみたいな行為だし、もう少し冷静になった方が良いだろう。自分とその周囲を客観的にみつめる視点に欠けている。

 ある当直の夜に突然、アプリ内の女の子から連絡が来て、「新手の詐欺かな、個人情報は渡さないぞ、こちとらただでさえ大学の同窓会の名簿が流出してしょっちゅう節税のためにマンション買いませんかみたいなクソ電話が来ているんだ」と「ちんちんドキドキ」のないまぜになった気持ちでTinderをひらいて、アプリ上で当たり障りのない会話をしていたが、プロフィール画像に何となく見覚えがある、職業に「看護師」と書いてある。研修で他の病院に行ったときに知り合いになった看護師さんだった。TinderではLINEの連絡先を教えてもらうことが第一関門のようだが、僕はすでに連絡先を知っている。話のタネに面白そうだったので飯に行くことにした。それから陰毛をブラジリアンワックスで処理した話など傾聴しつつ準備万端マンだなあと思っていたら飯の日になった。ちなみに同期の女性研修医からは「絶対やばい子だけど優勝は簡単そう」とエールをもらった。

 デートの日、完全に僕の趣味でシュラスコ食べて飯トレする予定が、駐車場が開いておらず、その近くのつぶれそうな定食屋風のペルー料理屋にはいることになった。ペルー料理が何なのか分からないが、腹を減らしたBMI 27の26歳のオッサンの胃袋を満足させてくれる食事はきっとあるはずだ、ブラジルと近いし、シュラスコみたいな肉料理がペルーにもあるに違いない。きっと芋煮と豚汁くらいの差だろう。

 ペルー料理は想像通り肉肉した感じだった。色々な肉が盛られたプレートに乗ってきたチャーシュー風のなにかは絶品だったが、名前はわからない。豆を白っぽいソースで似たシチュー風の何かと緑のソースでスプーンでほぐれるくらい煮込まれた牛肉と生玉ねぎの酢漬けとライスが盛られた料理も名前はまったくわからないが間違いなくおいしかったし、結局食べきれずパックにいれて持ち帰った。

 昼時だったので客は絶えず回転していたが、僕ら以外には誰一人日本人が来ていなかった。客はポルトガル語話者が多いようで、店の人々はおそらくスペイン語を話すので通じないのだろう、時折日本語交じりで会話していた。こうやってピジン言語とかクレオール言語とかできていくんだろうなあ。そういえば、宜蘭クレオール宜蘭クレオール - Wikipedia)なる言語を去年あたりに知って音声を聞いたんですが不思議な感覚になって面白いですね。東北の高齢者の言葉(津軽弁 雑談中のおばさま。 - YouTube)と同じくらいわからない。ところでそもそもスペイン語ポルトガル語何となく似ているイメージだけれども、何となく通じたりしないんだろうか。(調べてみたら、それぞれ自分の言語を勝手に話してもお互いある程度通じるらしいですね。)

 そんなことを考えながら飯を食べて満足したら、彼女が袋からコントミンクロルプロマジン)を取り出して飲み始めた。袋にはほかにクエチアピンとパロキセチンが入っている。どうやら本物のメンヘラのようだった。

 どうしたもんかなと車に帰りの車に乗って、理解可能な感情には支持的に、理解不能な感情にはほんのり指示的に、ちょっと違和感のあることについてはそれってどういう意味だろう、と問診しながら運転した。希死念慮の強い時にオーバードーズしてしまったと言っていたので、僕と今日このまま別れた後に死なれたら後味が悪すぎる。リストカット若いころしていたけれど、今はしていないと話はじめた。医療者モードに僕が入ったのに感づいたのか、患者モードになってきたようだった。

「私にはそりゃあ色々とコンプレックスもあるけれど、私以上にイケてない人だって世の中には沢山いて、特にほら、私高校受験から失敗してFラン高校に行ったから周囲の人いわゆる底辺のDQNばっかりで、でもそんな内面が幼い人間も勢いで生エッチして子供作って、もちろん離婚とかする人もいるけれど、それでもマイルドヤンキーとして立派に再生産してさ、経済もまわして、立派だなって思うね、あの手の人たちに足りないのは内省と知性だと思うけれど、まあ私はアレだけど、内省はすごくする方で、常に自分の何がいけなかったかとか考えているんだけれど、そうしてそれができておらずに周囲に迷惑をかけながら多罰的に生きる人々を軽蔑しながら生きていたんだけれど、今になってみれば客観的にみて手首切ったりオーバードーズしたりしている私の方がダメダメなわけで」

何となく抑うつ気分だったようだけれど、そしてアウトプットが自傷行為になるのはアレだけれど、自己肯定感の低さや言いたいことはよく理解できたので、このまま家まで送っていくのもちょっと申し訳ないかなと思って映画『バンブルビー』を観ることにした。ビートル乗りの僕は観ること自体は前々から決めていたのである。

 『バンブルビー』は機械を模倣できる宇宙人が地球に来て記憶喪失になり黄色いビートルになって、亡くなった父親を忘れられず、母が再婚してできた新しい家庭になじめない女の子と触れ合うというハートフルアクションSFである。どこかで聴いたことのある曲がBGMに多用されているのも良い。

 鑑賞後、帰り道で僕のビートルに向かって変身するように呼び掛けていたので、強く生きてくれと思いながら家まで送った。手首を切らなくなったのは自傷行為がTinderでの出会いに形を変えただけなんじゃないかと言ってみたけれど、本人は否定していた。本当はどうだか知らないし、僕がどうこう口をさしはさむ話でもない。

 ストレスをため込まない簡単な方法は多罰的になることだけれど、自罰的や無罰的な人間が多罰的な人間を見下してしまうのは、その特性が自分の幸福にとって何ら利益にならないのに捨て去ることができないからだ。捨てることのできない無駄なものは、捨ててはならないものだと思ったほうがずっと精神衛生上良い。自己肯定感の低さを、尊い内省の賜物と考えると、少しは救いがある。

 先ほどツイッターを眺めていたら、新しいお札の肖像について、これ誰だよと文句を言うより、こんな人がこんなことしたんだなと世界を広げられる豊かな生を送りたいといったような趣旨のツイートが流れてきた。そう、このツイートを読んでこの記事を書くことにしたのだった忘れていた。

 無罰的な僕は自罰的な女性と謎のペルー料理を食べて満足な休日を過ごした。多罰的人間だったら、シュラスコの店の駐車場が開いていないことにイラついて美味しいペルー料理を楽しめなかったかもしれない。

 とにかく、精神科面接実践編のデートはこうして幕を閉じた。時たまLINEでメッセージが送られてくるのでまだ自殺はしていないらしい。そういう点で優勝でなくても、とりあえずこのあたりが局地的勝利なのかもしれない。婚活に大金をつぎ込んでいる指導医にこの話をしたら「それ患者になるからやめた方いいよ」と適切なアドバイスをもらった。僕もそう思う。終戦にしなくてはならない。客観的に内省してみても。