ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

天気の良い日に山に登った

先週末は天気予報が晴れだったため、前日に近場の低山に登ることを決めた。ADHDマンなので衝動的に予定が決まる。飲み会の翌日だったため、例に漏れず下痢だったが気合を出し、便は漏らさずひっこめた。えらい。ありがとう正露丸。アードベックの匂いがして素敵。

つい先々週にも全く同じ山、まったく同じコースを一人で通ったのだが、霧の中で景色はまったく見えなかった。ペットボトルに押しつぶされてぺしゃんこになった菓子パンをほおばって、寒さに震えながら山頂で霧の晴れるのを30分まったがダメだった。その間あまりにも暇だったので、別コースから来て山頂で一緒になったイケメンといけてないオスとかわいい山ガールの三人組の関係性を考えて遊んでいた。イケメンだけ少し距離が遠かったので、おそらくブサメンと山ガールが男女の仲で、イケメンは寝取りを画策しているのだろう。ブサメンは寝取られにおびえ、イケメンは新たなメスに心躍らせ、メスはモテで自己肯定感を高めている、と思った。僕には関係ないし、どうでもよいけれど。

天気が違うと印象が全く違って面白い。この前は紅葉はきれいだったけれど、薄暗くてどこか不吉で吸魂鬼や指輪の幽鬼でも出そうな雰囲気だったのに、今回は明るくて素敵な場所だった。

時間帯や状況が変わると見え方は随分変わるものだなとおやまを歩いて考えた。絶対的に正しいカミサマ的視点なんてものがひょっとしたら存在して、そこから見える景色はいつも正しく変わらないのかもしれないけれど、結局のところ僕はカミサマ視点でものを語れない。今の僕からみて今の僕がどう見えるか―わしはぶたばい……―なんてことに執心するのもあほくさいなとは思うんですよね、思うんだけれどね。

それでもやっぱり立派になれないなあと思いながら日々生きるのはストレスフルで口内炎ができてしまう。困った。けれども上級医氏も「わしはガイジ、コンプレックスありまくり、立派になれない(大意)」と言っていた。わしから見たら十分立派なんだけれど。みんな思い思いに自分の自分にしか分からない(かもしれない)非立派性に直面しているんだね。

今日みたいに雨上がりに晴れた朝の通勤路から見える街並みはちょっときれいで、根拠もなく目の前に山積した問題が何とかなる気になってきてしまった。何とも無責任な感性だなあとも思ったが、これは高照度光療法に他ならない。そう、自然科学の徒なのでエビデンスには従順なのだ。ぶひぶひ