ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

佐渡島旅行記

「進行方向右手に見えますのは、両津港防波堤灯台でございます。灯台マニアの中ではおけさ灯台の名前で有名です」

その日の佐渡汽船おけさ丸は前日の台風の影響かひどく揺れており、僕はもともと二日酔いだったうえ、トラベルミンを持ってくるのも忘れていたから完全にグロッキーだった。一緒にブリを食べに船に乗り込んだ高校の同級生は呆れ顔で船内を散策しにいった。ところで僕は灯台マニアの存在を初めて知ったし、何より有名だというその灯台を一目見たかったのだが、胃袋が立ち上がるんじゃないぞ、ここで寝ておれ、と酸っぱい圧力をかけてくるので、わかりました動くと吐くやつですね、と僕はおとなしく天井を眺めながら、船が入港し揺れが和らぐのをじっと待つことにした。

佐渡島には夏休みを利用して10月はじめに行ってきた。酒造をめぐってブリを食べて、せっかくなので少し金山を見てきた、だけの旅である。二日酔いのおかげであまり酒を飲めなかったことが悔やまれる。佐渡金山は平日だったせいか観光客は僕ら以外には数組しかいなかった。暗く静かな坑道の中でリアルな機械仕掛けの蝋人形(?)が浮浪者のような風体、濁った眼でもくもくと仕事をしている姿が白熱電球に照らされて不気味だった。誰もいない湿った坑道の中をナレーションがながれ、蝋人形たちは永遠に同じ動作を繰り返す。

これら蝋人形の行う見るからに辛そうな労働は、それなりに賃金も良かったようだが、そのうち労働力不足になると無宿人なる者たちが無理に連れてこられるようになったらしい。無宿人という字面からはホームレスを連想するがwikipediaでは(wikipedia情報なので信頼性には乏しいが)「無宿には、江戸時代は連座の制度があったため、その累が及ぶことを恐れた親族から不行跡を理由に勘当された町人、軽罪を犯して追放刑を受けた者もいたが、多くは天明の大飢饉や商業資本主義の発達による農業の破綻により、農村で生活を営むことが不可能になった百姓だった 」とある。坑道が寒かったのは、地下だからというだけではない、無宿人の怨念が渦巻いているからだ、などと非自然科学的なことを思いながら金山を後にした。

どうも和ホラー映画が苦手である。こわい。エビデンスがどうのとかおらついたことを言う口がどうしたんだい、という感じ。人の持つ思想には複数の界や層があるということでしょうね。光が波であることを知っている界と盆暮れ正月に墓や寺社仏閣の前で手を合わせる界が併存する。特定の個人を好きになる層とその個人の著作が嫌いである層が併存する。

価値観の相対化がそこにあるからだよ、という人もいる。絶対的な何者・何物かを信仰・支持することなく、すべてから距離をとり、自らを特定の物語に投げ込まないことで、この手の問題の解決をみるタイプの人がいる。医師における師弟制度についても、いわゆる立派な人にネット上で接触できたり、以前ほど(といっても僕は以前を知らないが)直接の指導医が絶対的でなくなったなどという話はよく流れてくる。

スーパーローテが導入される前の研修医は直接入局だったけれど、僕のいた田舎の大学では学生時代から勧誘が始まっており実質直接入局と変わらないような気がした。医局に所属するという物語しかそこでは与えられない。多くの人にとっては目の前に見えるたった一つの灯台を目指して海原を漕いでいくことになる。

現代はというと、初期・後期研修で市中か大学か、入局するのかしないのか、周囲には無数の灯台が居並び、それらいずれも自分とはどこか無関係に思えて、どうでもいいやとオールを手放してしまいたくなる。結局のところ、救いを感じられるのは特定の物語を受け入れた時だ。けれども僕は現代人なので、特定の灯台に猛進することができない、つもりでいる。

同期のオスが言った。「メスとの出合いの場を作った方がいいよ、同時に起こらないことで、確率の足し算ができるからね、0に何かけても0だし、特定の個人に行くよりも出会いを増やすことだね」

価値観の相対化の層と絶対化の層すらも、僕のなかでミルフィーユを作っている。何者にもなれないとオールを手放しながら、この潮の流れの先にきれいなおねえさんがいることを切望している。そんなことを考えながら帰りの佐渡汽船に乗っていると、すでに船は湾内をとうにぬけて、おけさ灯台どころか海には何も見えなくなってしまっていた。