ぶたびより

酒を飲み、飯を食べ、文を書き、正解を生きたい

田植えの季節

 このくらいの季節が好き。田んぼに水が張られて涼し気で新緑もきれい。腰の曲がってホビットめいた老翁/老媼が田植えを始め忙しいので外来や病棟の患者数も減る。普段であれば、雪のなくなった近所の低山をつつじの花を眺めながら歩くこともできる。

 暇なので持ち回りでやっている勉強会の担当となった。来週なのにまだ手を付けていなくて震えている。すぐ震えるのはアルコール依存症だからでは決してない。最近飲酒量がめっきり減ったのだ。勉強会の担当領域はBPSモデルを割り当てられた。どう考えても僕に向いていない話題なのだが仕方ない。

 馴染みのない方のためにざっくりBPSモデルについて説明する。biopsychosocial modelの略で、読んで字のごとくに生物学的・精神的・社会的な観点から疾患を解釈するモデルである。生物医学的な観点からdeseaseを診療するだけではなくて、より包括的にillnessを診療しようね、という話。1)

 この話をする時によく引用されるのが、WHOによる健康の定義である"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."というやつ。2)そして、医師法第一条には「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。」と記載がある3)から、国民の健康に貢献する僕たちは医学生物学的観点からのみ診療をするだけでは片手落ちになってしまう。

 高齢者がとにかく多い昨今では、医学的問題で解決できない問題が非常に多いのは事実だと思う。認知症インスリンが適切に打てないインスリン依存状態の糖尿病患者の管理、家族と疎遠で本人は意思疎通がとれない寝たきり高齢者の急変時の方針、母子家庭で両親とも疎遠で小さい子供がいる母親の入院適応、重大な疾患の告知をしたいのに本人は認知症で最も近い関係にある人が近所の友人しかいない時、僕らは非常に困ってしまう。インスリンをこのくらいの用量でつかってねとか、急変時に予後を改善するためには絶え間ない胸骨圧迫がとにかく大切とか、ADROP 3点だから入院が好ましいとかは医学的な問題でそれだけでこれらは解決できない。

 ただ、僕個人の意見としてはそれらの問題に現状で数の足りていない医師が過分に入り込むことは、先陣に立って戦って討ち死にする指揮官のような印象を持ってしまう。医学的観点から適切な診療ができる医師は多くない一方で社会的な背景をさぐりながら今後の方針を提案できる人はそれなりの人数がいるように思う。

 いずれにせよ、これらはBPSモデルを理解しなくていい理由にはならない。介護保険申請や療養病院の行先、訪問看護をいれたり、配食サービスの利用などの細部をMSW(メディカルソーシャルワーカー)に任せるべきだし、家屋訪問して現在のADLから在宅療養が現実的に可能かについて検討することはリハビリスタッフの仕事だと思う。ただ、こういった他の職種のスタッフと話し合うことや地域の医療資源について理解することは僕らの仕事であるはずだ。

 例えば、脳卒中急性期を乗り切った後、経口摂取困難な時に胃ろうはCTで結腸がかぶってて造設できず、家族としてはもう開腹手術まではしたくない、中心静脈栄養も行いたくないが、まだ目も開いてて簡単な意思疎通がとれているようにも見える患者を抹消静脈栄養のみで干からびさせて看取ることにも抵抗がある。また現実的に在宅療養も介護者がいないため困難だと最初は家族が言ったけれど、病状説明のためにこれらの希望がころころ変わって困ってしまうとか。こういう時にPTEGで受け入れてくれる特養があるのかといった地域の医療資源の資源は理解していないといけないし、家族がそんな難題を押し付けてくる理由(その脳卒中患者の年金が振り込まれないと困るとか、病状説明に参加したキーパーソンの知的水準が低くて病状説明の内容を理解できておらず「とにかくできることはなんでもやってください」と言っているだけなのか、親族に同様の経過の人がいて胃ろうにして後悔していたと聞いて判断に悩んでいるとか、療養病院だとお金がそこまでかからないから大丈夫だけれど、施設だとお金がもう少しかかってしまうので療養病院に入れるようにしてほしい)なども知っておいたほうが確実に病状説明の時の困難さが少ない。これは事実だと思う。

 ということで、BPSモデルについてもう少しだけ書いていく。教科書的なことも書かないといけない。そもそもこのモデルはGeorge L. Engelという人が言い出し始めたものだ。BPSモデルについて、あまりエビデンスがないことは、これの有効性を示すための臨床研究を行おうと思った時にPICO/PECOの形にresearch questionを落とし込みにくいことから容易に想像がつく。これは現代医療(といっても彼が言い始めたのはもう40年も前の話だ)があまりに生物学的側面ばかりに傾倒してしまったことについて、さすがにイケてないよね、という彼のイデオロギー的な側面がある。4)

 そしてそれがまさに僕がこの内容を勉強会で話したくない理由だ。科学的内容から離れた特定のイデオロギーを総合診療科専門医取得の要件に入れることにそもそも強い違和感を覚える。実験とその追試と、実験方法の批判的吟味を通して結果を解釈することでできたのが自然科学であって、この手のイデオロギーは科学ではなく、当然科学的な正当性も全くない。「僕の考えたさいきょうのいりょうりんり」というのが好きになれない。特にそれを強要される場合には尚更だ。”it is entirely possible to advocate for shared decision making without challenging the notion of the cold technician, we propose to move the emphasis to an approach that emphasizes human warmth, understanding, generosity, and caring.”4)なんて一文を論文中に見つけるとめまいを起こしてしまう。「僕のかんがえたさいきょうのいりょうりんり」としてのBPSモデルについての論文を読むことが医療スキルを向上させるとは考えにくい。そもそも当たり前のことばかりが書かれている。現実的に利用可能なBPSモデルについての話を書いていく方が少なくとも僕の精神衛生に良い。

 しかし、調べても調べてもこのようにBPSモデルを利用しましょうなんて実践的な方法はまるで出てこない。しまいには、「1977年に生物心理社会モデルに関するエンゲルの論文が発表されてから40年が経過したが、臨床・研究・教育の基礎としてのモデルの精緻化はほとんど行われていない。」という一文5)を発見して、実用レベルにまで現状では落とし込めていないことが判明した。そして普及しない理由についてはいくらでも出てくる。診療報酬が支払われるのはあくまでも医学生物学的観点での範囲内のことで、医療者が重視するのは当然その部分だとか。6)

 BPSモデルでは医療者がdeseaseを診療するだけでなく、患者がillnessに対して主体的に管理していくようにするらしいが、5)そう聞くと、医学的な解決のみを図ろうとする医療者に対するそのほかの背景についても目を向けてねって思いと、paternalisticな診療への批判がまざって中途半端になっている印象を受ける。心不全患者がうつ病を合併する話はよく聞く。7)8)また、疾患への理解を深めると予後がよくなるみたい話はある9)けれど、患者が主体的に診療に参加することとBPSモデルが混ざっていることには違和感がある。おそらく、社会的な背景とか精神的な問題とかはより主観的要素だから、それらも含めてdeseaseではなくてillnessとして扱うことで患者が主体的に治療に参加するよとかそういう話なんだと思うけれど。言葉遊び的というか、思想の押しつけがましさに辟易してしまう。

 機能性疾患(特に画像や血液性化学検査などで異常が指摘できないが、症状があるタイプの疾患群)として過敏性腸症候群だとか線維筋痛症あたりにはBPSモデルによる介入が行われることが多いようでこれは納得いきやすい。検査所見的に異常がないということは、心身症的側面があることとほとんど同義であるから、biological approachが奏功しにくいことは容易に想像できる。しかし、特に線維筋痛症は最も関わりたくないタイプの病気である。内服薬はほとんど奏功しないし、こじらせた心理的・精神的問題、そしてプライマリケア医として扱うレベルではない重度の精神科的問題があることもある。

 BPSモデル大切だよいう話はいくらでも出てくるけれど、じゃあそれどう利用するのさみたいなところに具体的に答えてくれる人は誰もいないことが分かった。僕個人としては、生活習慣病の指導をする時に相手の暮らしにも目を向けようねとか、うつ病を合併しやすい慢性疾患について認識して適切な介入を行うようにしようねとか、残薬が多い時にちゃんと飲んでね、というだけでなく認知症の初期の可能性を想起するとか、そもそも日常生活はきちんと送れているのかとか、そうでないから介護保険申請の手続きをするように手配するとか。また、待合室からすでに臭い生活レベルの見るからに低い患者のDMコントロールが悪いことに生活困難が背景にありそうならMSWに一言連絡しておくとか。また、喘息発作を繰り返してコントロールが悪い患者が夜間の救急外来にばかり頻繁に来るときにその理由(夫が喫煙者とか、日中は仕事でなかなか来れないとか⇒夫が定期受診していれば介入できるかもしれないし、日中忙しいのであれば夜間外来のニーズを地域で調べる必要があるかもしれない)に目を向けるとか。そういうところなんだと思うんだけれども、そういう具体的な話はどこにもありませんでした。

 冒頭に書いたように、例年田植えの季節になると入院患者は生活がかかっているからと帰宅願望が強くなる。そういうところのリスクと生活について考えながら患者の幸福の最大化を目指すことが大切なんだと僕は思うんだけどなあ。

1)Engel L. George : Science, 196(4286) : 129-136, 1977

2)世界保健機関(WHO)憲章

3)医師法

4)Francesc et al. : annals of family medicine 2004 ; 2 ; 576-582

5)Hari K et al. : journal of family medicine primary care 2018 ; 7(3):497-500

6) Frankel RM. et al. : The Biopsychosocial Approach: Past, Present and Future. Rochester NY: The University of Rochester Press; 2003

7) Rutledge T et al. : J Am Coll Cardiol. 2006;48:1527–1537.

8)Konstram V et al. : J Card Fail. 2005;11:455–463.

9)Kaptein AA et al. :  Int J Chron Obstruct Pulmon Dis 2014;9:907-17.